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河野友恵 : ミニ英和和英辞書
河野友恵[こうの]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [とも]
 【名詞】 1. friend 2. companion 3. pal 

河野友恵 ( リダイレクト:安部友恵 ) : ウィキペディア日本語版
安部友恵[あべ ともえ]

安部 友恵(あべ ともえ、1971年昭和46年)8月13日 - )は、大分県杵築市(旧速見郡山香町)出身の日本の女子陸上競技マラソン選手。
2015年現在、100kmウルトラマラソンの女子世界記録保持者。旭化成所属。身長149cm。
2006年に結婚、現姓・河野(かわの)、1児の母。
==略歴==

*1989年8月 - 大分東明高校3年在学中、高校総体3000mで3位入賞。
*1990年3月 - 同校を卒業と同時に旭化成陸上部入部。
*1993年1月31日 - 初マラソンとなった大阪国際女子マラソンで2位、2時間26分27秒(優勝した浅利純子とは1秒差)。
 *この時浅利との優勝争いのデッドヒートを繰り広げていたが、ゴール寸前で安部の前を走っていたフジテレビ移動中継車に釣られて、安部は長居陸上競技場(注・現在の建物ではない)への進入路を間違えて直進してしまう(浅利は当時過去2回大阪国際を走った経験も有り、すぐさま陸上競技場の方向へ走り先頭に立つ)。結果的にこの距離と時間のロスが致命傷となり、惜しくも優勝を逃した。ゴール後のインタビューで安部は「ああ私ってマヌケだなあ、と思いました」と苦笑いを浮かべながら発言し、一躍人気者となった。
*1993年8月15日 - シュトゥットガルト世界陸上女子マラソン3位入賞、銅メダルを獲得。2時間31分01秒(優勝は浅利純子で金メダルを獲得。松野明美は11位。33Km付近で集団から抜け出た2位のマヌエラ・マシャドと、その後の浅利のスパートにはついていけなかったものの、安部は3位の位置をキープしてゴールした。陸上競技の世界大会(五輪も含む)で、1種目で二人の日本女子選手がメダルを獲得するのは、史上初の快挙だった)。
*1994年1月30日 - 大阪国際女子マラソン初優勝、2時間26分09秒(2位の藤村信子と同タイム、3位の浅利純子とは1秒差、当時の日本女子最高記録。長居第2陸上競技場へ3人がほぼ同時に入ったが、残り100mを過ぎてから安部がラストスパートで2人を引き離す。また、この優勝が旭化成陸上部女子のマラソン初制覇でもあった)。
*1994年10月2日 - 広島アジア競技大会女子マラソンの代表に選出されたが、足の故障によりレース前日に欠場を表明(藤村信子が3位で銅メダルを獲得)。
*1996年1月28日 - 大阪国際女子マラソン5位。2時間28分00秒(アトランタオリンピックの選考レース。昨1995年の大阪国際が阪神大震災による影響で開催中止となり、2年前のディフェンディングチャンピオンとして出場。しかし、スタート直後に安部は転倒してしまうアクシデントに見舞われ、脇腹を強打し打撲傷を負う。その後5Km手前で先頭集団に追いついたが、35Km過ぎで脱落し優勝を逃す。アトランタ五輪へは補欠代表にとどまった)。
*1996年8月25日 - 北海道マラソン優勝、2時間31分21秒。
*1997年8月9日 - アテネ世界陸上女子マラソン29位。2時間45分19秒(本人曰く「風邪を引いてしまい調整に失敗、後は気持ちで走るだけだった」。優勝は鈴木博美で金メダル獲得、4位入賞は飛瀬貴子)。団体戦では日本女子が金メダルを獲得。
*1998年8月30日 - 北海道マラソン2位、2時間31分12秒。
*1999年1月31日 - 大阪国際女子マラソン6位、2時間27分05秒(セビリア世界陸上へは補欠代表に)。
*1999年8月29日 - 北海道マラソン2位、2時間33分45秒。
*2000年1月30日 - 大阪国際女子マラソン6位、2時間28分01秒(シドニーオリンピックの選考レース。5Km地点を過ぎた後に安部は早々先頭集団から脱落、殆ど優勝争いに加われなかったが、大阪城公園内の28Km付近で有森裕子を抜き去るなど見せ場は作った)。
*2000年2月20日 - 泉州国際市民マラソン優勝、2時間29分09秒(大阪からわずか3週間の間隔でフルマラソンに出走)。
*2000年6月25日 - サロマ湖100キロウルトラマラソン優勝、6時間33分11秒(100kmマラソンの世界女子最高記録を達成)。
*2000年8月27日 - 北海道マラソン3位、2時間35分21秒。
*2001年3月11日 - 名古屋国際女子マラソン5位、2時間27分02秒(25Km過ぎで転倒するも終盤まで優勝争いに加わった)。
*2001年11月18日 - 東京国際女子マラソン12位、2時間34分17秒。
*2002年1月27日 - 大阪国際女子マラソン5位。2時間29分16秒。
*2002年3月10日 - 名古屋国際女子マラソン6位、2時間31分11秒(東京→大阪→名古屋と3大会の女子マラソンを続けて出走。名古屋のレース後、旭化成陸上部を退部)。
*2002年11月17日 - 東京国際女子マラソン6位、2時間31分11秒。現在は旭化成延岡支社で通常勤務の傍ら、各地で開催される市民マラソン大会のゲストランナーとして活動している。
*2008年2月17日 - 東京マラソン2008にゲストランナーで出走し13位、2時間56分35秒。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「安部友恵」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tomoe Abe 」があります。




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