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河野 和久(こうの かずひさ、1950年12月30日 - )は広島県出身の元サッカー選手。ディフェンダー(DF)。 == 来歴 == 山陽高等学校では崎谷誠一、平田和資らと共に1967年全国高等学校サッカー選手権優勝(洛北と両校優勝)〔『週刊サッカーマガジン』2011年6月14日号 、70頁。〕、国体3位〔河野徳男『広島スポーツ史』、財団法人広島県体育協会、1984年、322-323頁。〕〔『栄光の足跡 広島サッカー85年史』広島サッカー85年史編纂委員会 財団法人 広島県サッカー協会、2010年、69頁。〕。3年時の翌1968年全国高等選手権は準優勝(0ー1初芝)〔『栄光の足跡 広島サッカー85年史』69頁。〕。ユース日本代表にも選出され、1969年第11回アジアユース選手権(AFCユース選手権)に出場した。この時の代表メンバーは18人中9人が広島出身者の同学年で〔『栄光の足跡 広島サッカー85年史』71頁。〕、多くが日本サッカーリーグ(JSL)各チームの主力選手として活躍した〔。(詳細は崎谷誠一の項目を参照)。 高校卒業後、日立入りし、忠実なサイドバックとして長くレギュラーとしてプレーした〔。日本代表としても、国際Aマッチ1試合に出場した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「河野和久」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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