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河野 政通(こうの まさみち、生没年不詳)は、室町時代から戦国時代にかけての武将。 == 生涯 == 諱(「政通」)の「政」の字は、陸奥国の豪族で主君とされる安東政季、または政季にその字を与えた室町幕府第8代将軍足利義政から受けたものと推測される〔寺川仁氏によれば、河野氏一門において、通字の「通」(みち)を下(諱の2文字目)にする例は、河野持通・河野教通・河野晴通(いずれも伊予河野氏の当主)のように足利将軍家や烏帽子親から偏諱を受ける場合に見られ、政通もこのケースに該当しているのではないかとしている。更に、伊予国(現・愛媛県)と陸奥国(東北地方)とでは場所が大きくかけ離れているが、河野だけでなく本文中の武田信広(若狭武田氏)や、相原政胤(千葉氏一族で「相原」を称す)、村上政儀(信濃村上氏)といった伊予・若狭・房総・信濃に出自を持つ人物が各地から安東政季の許に集まっており、政通が伊予に関係があってもおかしくはないとする趣旨の推測もしている。尚、政季から1字を賜ったとする説は県史シリーズ『北海道の歴史』(参考文献参照)に見られ、前述の相原政胤、村上政儀にも同様のことが言えると考えられる。〕。 出自は不詳だが、越智氏の末裔を称し、伊予河野氏(河野氏宗家)の一族と推定される〔。陸奥国と伊予河野氏には鎌倉時代から繋がりがあり、河野通信終焉の地も陸奥国江刺郡であり、その孫河野通重(みちしげ)も陸奥国稗貫郡寺林城(現岩手県花巻市)を拠点として活動していた。 享徳3年(1454年)、安東政季が蝦夷地に渡り、それに従って武田信広らとともに政通も蝦夷地へと渡った。宇須岸(現函館市弥生町)に宇須岸河野館と呼ばれる館を築き、その館が方形であったため、箱館(後の函館市)という地名の発祥となった。茂別館主下国氏を補佐して蝦夷地の開拓に当たった。 このような和人の蝦夷地開拓に反発したアイヌは、康正3年/長禄元年(1457年、応仁の乱の10年前)のコシャマインの戦いで宇須岸館を攻撃。その際に政通はアイヌの捕虜になったとも伝わる。また、永正9年(1512年)に宇須岸館が攻撃されて陥落、子の季通は父・政通と娘を逃がした後に自害。政通は孫娘を伴って松前に逃れたという〔こちら (参考外部リンク掲載)より。〕。政通のその後は不詳だが、逃れた先で孫娘はのちに蠣崎季広(武田信広の曾孫)の正室となり、その子松前慶広は初代松前藩主となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「河野政通」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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