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河野李由 : ミニ英和和英辞書
河野李由[こうの りゆう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [り, すもも]
 【名詞】 1. (Japanese) plum 2. prune 3. prunus salicina 
: [よし]
 【名詞】 1. reason 2. significance 3. cause 

河野李由 : ウィキペディア日本語版
河野李由[こうの りゆう]

河野 李由(こうの りゆう、寛文2年(1662年) - 宝永2年6月22日1705年8月11日))は、江戸時代前期の俳人近江蕉門浄土真宗本願寺派の彦根明照寺(光明遍照寺)14世住職、律師。字は買年、諱は通賢と言い、釈名を亮爾と号す。近江国の生まれ。父は河野通仁。子に河野通惠(自蹊)。
== 生涯 ==
李由は伊予河野氏の末裔と伝えられる。寛文2年(1662年)に生まれ、かねてから松尾芭蕉の風雅を慕い、修行中に法用と称して元禄4年5月1日1691年5月28日)京都嵯峨野向井去来別荘落柿舎で「嵯峨日記」執筆中の芭蕉を訪れ入門した〔「蕉風」(沼波瓊音著 金港堂 1905年)〕。
蕉門十哲の一人森川許六は度々明照寺に遊び、芭蕉も李由入門直後に寺を訪れた〔「近江人物伝 P250森川許六」(弘文堂書店 1976年)〕。芭蕉と李由の師弟関係は「師弟の契り深きこと三世仏に仕ふるが如し」と伝えられている〔「滋賀県百科事典」(大和書房 1984年)〕。芭蕉死去後、渋笠を形見に貰い受け、明照寺境内に埋め笠塚を築いた〔〔。
元禄15年(1702年)、森川許六と共に「韻塞(いんふたぎ)」、「篇突(へんつき)」、「宇陀の法師」を編む〔「俳諧三十六家選」(桃李庵編 文光堂書店 1926年)〕。その後、宝永2年6月22日(1705年8月11日)李由死去する。生前明照寺の庭に4本の梅の木があることに因み「四梅廬」と、また「月沢(つきのさわ)同人」とも称した〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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