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河野通春 : ミニ英和和英辞書
河野通春[こうの みちはる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [つう]
  1. (adj-na,n) (1) connoisseur 2. authority 3. (2) counter for letters, notes, documents, etc. 
: [はる]
  1. (n-adv,n-t) spring 

河野通春 : ウィキペディア日本語版
河野通春[こうの みちはる]

河野 通春(こうの みちはる)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将守護大名伊予守護。居城は港山城河野氏宗家と対抗した分家の予州家当主。
当初は細川氏の支持を受け、嘉吉の乱後、幕府からの命令を引き出して又従兄弟で本家の河野教通を討とうとするが、教通には吉川経信小早川盛景の援軍があったため、うまく進まなかった。文安6年(1449年)に伊予守護に就任したが、翌年に教通に交替、享徳2年(1453年)に守護職に再任されたが、享徳4年(1455年)に細川勝元に交替させられた。
長禄3年(1459年)に3度目の伊予守護職に補任されたが、寛正3年(1462年)に勝元の同族の阿波守護細川成之と戦い勝元と対立、寛正5年(1464年)には伊予の混乱を見た勝元の軍勢が攻め込んで来たため危機に陥ったが、細川氏と対立関係にある大内教弘の援軍を受けて細川氏を撃退する。直後に教弘は興居島で死去したが、なおも子の大内政弘の援助を受けた。
応仁元年(1467年)からの応仁の乱では西軍に与したが、通春の在京中に東軍についた教通が勝元死後の文明5年(1473年)に伊予の守護職を確保し、伊予における基盤を固めてしまう。乱後に伊予に帰国し文明9年(1477年)に4度目の伊予守護に任じられ、翌文明10年(1478年)にも教通と和気郡にて戦ったが、敗れている。その後も教通と抗争を繰り返しながら、文明14年(1482年)閏7月14日に港山城で病没した。子の通篤が後を継いだが、本家に対抗出来ず没落していった。
通春と教通の抗争は河野氏の衰退を招き、河野氏が守護大名から戦国大名へ成長できなかった一因を成した。

== 参考文献 ==

*愛媛県編『愛媛県史 古代II・中世』愛媛県、1984年。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「河野通春」の詳細全文を読む




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