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油川 信恵(あぶらかわ のぶよし/のぶさと〔丸島(2015)、p.53〕)は、戦国時代の武将。甲斐国の守護大名武田氏当主武田信昌(刑部大輔)の子〔丸島(2015)、p.53〕。兄に信縄がいる〔丸島(2015)、p.53〕。母は不詳であるが、「甲州郡内小山田氏系図」により、郡内領主・小山田信長の姉妹とする説もある〔小山田(1974)〕〔丸島(2015)、p.53〕。中郡の山梨郡油川に拠り油川姓を名乗った。勝山城主。武田信玄の大叔父。 == 略歴 == 甲斐国では室町時代の応永23年(1416年)に鎌倉公方の足利持氏に対して前関東管領の上杉禅秀が挙兵した上杉禅秀の乱において、守護・武田信満が禅秀方に加担したことで滅ぼされ、守護不在状態となる。これにより有力国人が守護代の跡部氏が台頭する状況となったが、信恵の父・信昌は寛正5年(1464年)にに跡部氏を排斥する。一方で、この頃には河内領主の穴山氏や郡内領主の小山田氏など、新たな国人勢力も台頭していた。 信昌は明応元年(1492年)に嫡男の信縄に家督を譲り、東郡の落合(山梨県山梨市)に隠居する。『王代記』によれば、信昌は後に信縄と対立し、油川を本拠としていた信恵に家督を譲る意向を示したという。また、この頃には守護武田氏と国人勢力の争いも激化しており、国衆同士の抗争に連動して武田宗家の内訌が発生していたと考えられている。 信昌・信恵方は栗原氏・穴山氏の甲斐国人に加え、駿河の今川氏、伊豆の伊勢盛時(北条早雲)の後援を得て、信縄方にも動揺に甲斐の国人勢力や関東管領の山内上杉氏が加担し、両者の間で抗争が繰り広げられた。。 信恵は父・信昌の支援を受け信縄と対立し、『勝山記』明応元年(1492年)6月11日条では「甲州乱国ニ成リ初テ候也」と記しており、これは信恵と信縄の抗争が開始されたことを指すと考えられている〔丸島(2015)、p.53〕。『王代記』では、同年7月22日に市川(山梨県山梨市)で合戦があり、これを「兄弟相論」と記している〔丸島(2015)、p.53〕。明応2年(1493年)には東郡塩後原(山梨県甲州市塩山)において信縄方に大勝するが(『王代記』)、翌明応3年(1494年)の合戦では郡内領主小山田氏や郡内の国人・加藤氏の加勢も得たものの信縄方に大敗し、劣勢にまわった。『勝山記』によれば、明応4年(1495年)8月、伊豆の伊勢宗瑞(北条早雲)が甲斐へ侵攻するが、甲斐をはじめ東海一帯に被害を及ぼした明応の大地震が発生し、地震後には信昌・信恵方と信縄方間、駿河・伊勢氏の間で一時的な和睦が成立している〔丸島(2015)、p.53〕。 『高白斎記』によれば、武田宗家内部の抗争は永正2年(1505年)信昌・信縄の相次ぐ死去の後にも継続した。信縄死去後、武田宗家の家督は信縄嫡男の信直(武田信虎)が継承したが、若年の信直に対して信恵方には岩手(山梨市)を本拠とする同母弟の岩手縄美や郡内の小山田弥太郎、栗原昌種(惣次郎)らが荷担して信直方に対抗した。「向嶽寺文書」によれば、この最中、年未詳9月19日には向嶽寺(甲州市塩山上於曽)に郡中の寺領を再寄進しており、郡内小山田氏の支援を得た信恵が郡内の所領を寄進したと考えられている〔丸島(2015)、p.54〕。年未詳正月18日にも、伊勢師の幸福大夫から御札を送られ、信恵の側近・河村重家が返信を行っている〔丸島(2015)、p.54〕。 『勝山記』『高白斎記』『一蓮寺過去帳』によれば、永正5年(1508年)10月4日、信直との合戦において信恵と子の弥九郎・清九郎・珍宝丸、岩手縄美、栗原昌種らが戦死し、武田宗家は信直の系統に統一された〔丸島(2015)、p.54〕。 『一蓮寺過去帳』によれば、法名は「蓮阿弥陀仏」〔丸島(2015)、p.54〕。『平塩寺過去帳』にも「彦八郎信恵」として記載されている〔丸島(2015)、p.54〕。『円光院武田系図』では号を「春叟」としている。 油川氏はその後有力氏族としては見られないが、一族の動向が確認される。信虎の嫡男・武田晴信(信玄)の側室となった油川夫人は享禄元年(1528年)出生であるが、父は不詳。また、信恵の子・信友は信虎に仕え天文19年(1550年)に信濃海野原で戦死しており、信友の子・油川信連(彦三郎)は永禄4年(1561年)の川中島の戦いで戦死している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「油川信恵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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