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油川夫人(あぶらかわふじん、享禄元年(1528年)? - 元亀2年(1571年))は、甲斐国の戦国大名武田信玄の側室。生年に関しては天文5年(1536年)説もある。実父は江戸時代後期の『甲斐国志』では、油川源左衛門信守としているが、油川信恵の子・油川加賀守信友とする説もあり諸説ある。油川氏は武田氏の支流で、信玄の祖父武田信縄の弟油川信恵を祖とする。実名は不詳。 == 略歴 == 油川夫人は甲斐守護・武田氏の一族である油川氏の出自であり、油川氏は武田信昌の子・信恵が永正5年(1508年)に滅亡しているが、信恵の子である信友とその子息・信連や、信恵系統とみられる信守など生き残った一族がいる。油川夫人の父はこれら信恵系統の人物であると考えられている。 信玄の側室で、多くの子女を残した。仁科盛信・葛山信貞・松姫・菊姫の母であり、また信玄の三女真理姫の母も油川夫人であるとの説がある。仁科盛信の生年が弘治3年(1557年)であるため、側室となった時期はこれ以前であると考えられている〔柴辻(2015)、p.475〕。 元亀2年(1571年)に死去〔柴辻(2015)、p.475〕。法名は「香林院殿慈雲妙英大姉」〔柴辻(2015)、p.475〕。墓所は不明〔柴辻(2015)、p.475〕。 武田氏は一族の子弟を征服した有力氏族の養子にして懐柔を図っているが、油川夫人の子である盛信は信濃の仁科氏を、信貞は駿河の葛山氏を継いだ。また、永禄年間から武田氏は尾張国の織田氏と接触しており、松姫は永禄10年(1567年)に織田信長の嫡男織田信忠と婚約したが、元亀3年(1572年)に破談になった。菊姫は天正7年(1579年)に上杉景勝の正室となっている。 実名は不明であるため、新田次郎の小説「武田信玄」では恵理、井上靖の小説「風林火山」では於琴姫(おことひめ・おごとひめ)と作中名を付けられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「油川夫人」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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