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沼尻の合戦(ぬまじりのかっせん)は、1584年(天正12年)の5月から8月にかけて、後北条氏陣営と佐竹氏・宇都宮氏陣営の間で行われた合戦。 == 前史 == 本能寺の変直後、後北条氏は1582年7月(天正10年6月)の神流川の戦いで滝川一益を破り、上野から信濃まで勢力を広げたが、天正壬午の乱において徳川家康と講和し信濃から撤退した。この講和条件に「上野は北条の切取次第」とあったことから翌1583年(天正11年)、北条氏直は北条高広を厩橋に攻め、後北条氏は北部の真田昌幸領を除き上野をほぼ制することとなった。 佐竹義重、宇都宮国綱ら北関東の諸領主はこれに危機感を覚え、当時北条方であった由良国繁、長尾顕長兄弟を調略(佐野宗綱の説得と推察されている〔齋藤 05〕)、由良長尾両氏は1584年1月9日(天正11年11月27日)北条方の富岡秀高を小泉城に攻めた。翌1584年4月4日(天正12年2月24日)には佐野宗綱も小泉城を攻撃したが、北条氏は小泉城の救援に向かうとともに長尾氏の拠点であった足利も攻撃した。一方、佐竹義重、宇都宮国綱は4月に宇都宮城を出陣し、1575年(天正3年)頃から北条方となっていた小山城の奪回を目指し小山を攻撃した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「沼尻の合戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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