翻訳と辞書
Words near each other
・ 沼太郎
・ 沼宮内バイパス
・ 沼宮内町
・ 沼宮内線
・ 沼宮内駅
・ 沼宮内高等学校
・ 沼尻の合戦
・ 沼尻の戦い
・ 沼尻スキー場
・ 沼尻健太
沼尻合戦
・ 沼尻墨僊
・ 沼尻小文吾
・ 沼尻帆泉
・ 沼尻沙弥香
・ 沼尻温泉
・ 沼尻竜典
・ 沼尻軽便鉄道
・ 沼尻鉄道
・ 沼尻鉱山


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

沼尻合戦 : ミニ英和和英辞書
沼尻合戦[ぬま]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ぬま]
  1. (n,n-suf) swamp 2. bog 3. pond 4. lake 
: [しり]
 【名詞】 1. buttocks 2. bottom 
: [ごう]
 【名詞】 1. go (approx. 0.18l or 0.33m) 
合戦 : [かっせん]
 【名詞】 1. battle 2. engagement 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

沼尻合戦 ( リダイレクト:沼尻の合戦 ) : ウィキペディア日本語版
沼尻の合戦[ぬまじりのかっせん]

沼尻の合戦(ぬまじりのかっせん)は、1584年天正12年)の5月から8月にかけて、後北条氏陣営と佐竹氏宇都宮氏陣営の間で行われた合戦。
== 前史 ==
本能寺の変直後、後北条氏は1582年7月(天正10年6月)の神流川の戦い滝川一益を破り、上野から信濃まで勢力を広げたが、天正壬午の乱において徳川家康と講和し信濃から撤退した。この講和条件に「上野は北条の切取次第」とあったことから翌1583年(天正11年)、北条氏直北条高広厩橋に攻め、後北条氏は北部の真田昌幸領を除き上野をほぼ制することとなった。
佐竹義重宇都宮国綱ら北関東の諸領主はこれに危機感を覚え、当時北条方であった由良国繁長尾顕長兄弟を調略(佐野宗綱の説得と推察されている〔齋藤 05〕)、由良長尾両氏は1584年1月9日(天正11年11月27日)北条方の富岡秀高小泉城に攻めた。翌1584年4月4日(天正12年2月24日)には佐野宗綱も小泉城を攻撃したが、北条氏は小泉城の救援に向かうとともに長尾氏の拠点であった足利も攻撃した。一方、佐竹義重、宇都宮国綱は4月に宇都宮城を出陣し、1575年(天正3年)頃から北条方となっていた小山城の奪回を目指し小山を攻撃した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「沼尻の合戦」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.