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沼田 月斎(ぬまた げっさい、天明7年〈1787年〉 - 元治元年6月29日〈1864年8月1日〉)とは、江戸時代後期の浮世絵師。 == 来歴 == 牧墨僊及び葛飾北斎の門人。姓は沼田、名は正民または政民。俗称は半左衛門。字は士彝。凌雲とも号す。150石取りの尾張藩の侍で代官町に住んだ。文化元年(1804年)に大番組となっている。初め牧墨僊に絵を学び、のちに墨僊からその前名である月斎歌政の名を譲られ、二代目月斎歌政と称した。これは墨僊の妻が沼田氏で、月斎と何らかの繋がりがあったためとも思われる〔『郷土の美人画考─江戸から現代まで─』p.14。〕。文化9年(1812年)、名古屋滞在中の葛飾北斎からも墨僊とともに絵を学んでいる。 文政のころ月斎を名乗り、文政元年(1818年)刊行の『北斎画鏡』や、翌年刊行の『北斎漫画』九編などの奥付に、校合門人の一人として月斎歌政の名前が見られる。版本の作としては天保14年(1843年)刊行の『絵本今川状』などがある。肉筆浮世絵では美人画を得意としたが、「歌政」と署名した作品は後に師のものと間違われる場合もあった〔。 天保以降は浮世絵から離れて張月樵、山本梅逸に師事して南画で一家を成し嘉永6年(1853年)には画壇から退く。享年78。門人に埴原月岬、大石真虎、川崎千虎、川崎美政、岩田古朴、服部月真、今井雪政らがいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「沼田月斎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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