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泊 武治(とまり たけじ、1889年(明治22年)3月〔『人事興信録』第14版 下、ト41頁。〕 - 没年不詳)は、日本の内務・警察官僚。官選高知県知事。陸軍司政長官。 ==経歴== 石川県出身。泊宗平の五男として生まれる〔。第四高等学校を卒業〔。1914年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1915年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業〔〔。 三井鉱山を経て、1916年、内務省に入省し北海道庁属となる〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』212頁。〕。 以後、北海道庁警視、警視庁警視、同理事官、島根県書記官・警察部長、徳島県書記官・警察部長、長野県書記官・警察部長、和歌山県書記官・内務部長、京都府書記官・警察部長、同内務部長、大阪府内務部長、北海道庁土木部長などを歴任〔〔『新編日本の歴代知事』951頁。〕。 1935年1月15日、高知県知事に就任。産業振興に尽力〔。1936年10月16日、台湾総督府交通局総長へ転任〔『官報』第2940号、昭和11年10月19日。〕。1940年12月3日、依願免本官となり退官した〔『官報』第4174号、昭和15年12月4日。〕。 1942年2月、陸軍省嘱託となり〔「陸軍省事務嘱託泊武治勅任官待遇ノ件」〕、同月6日、香港占領地総督部総務長官に就任〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』142頁。〕。同年6月6日、陸軍司政長官に発令された〔『官報』第4621号、昭和17年6月8日。〕。1944年8月1日、香港占領地総督部総務長官を退任〔。同年9月9日、陸軍司政長官を依願免本官となった〔『官報』第5299号、昭和19年9月11日。〕。 戦後に公職追放となる〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「泊武治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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