|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 法 : [ほう] 1. (n,n-suf) Act (law: the X Act) ・ 法務 : [ほうむ] 【名詞】 1. judicial affairs 2. Ministry of Justice 3. judge advocate general (mil) ・ 総 : [そう] 1. (n,pref) whole 2. all 3. general 4. gross ・ 総裁 : [そうさい] 【名詞】 1. president ・ 裁 : [さい] (n-suf) judge
法務大臣(ほうむだいじん、)は、法務省の長である国務大臣。略称は法相(ほうしょう)。 == 概要 == 国民生活に直結する職務が少なく、華やかさも乏しいことから、やや一線から外れた衆議院議員や参議院議員(参議院枠)の任命が多い。戦後、法務大臣経験者で総理大臣に就任した人物は皆無である。ただし、閣僚名簿で首相・(副総理)・総務大臣の次に並べられ、席次もそのようになる。中央省庁再編前は、首相・副総理の次位であった。閣内の重石として後藤田正晴・江田五月・谷垣禎一など重鎮クラスの就任例もある。 司法を司る閣僚は、英米法や大陸法の諸国では政府の法解釈助言者という位置づけであり、法曹資格者が就任することが多いのに対し、日本では政府への法解釈助言は内閣法制局長官が担当する。そのため、日本の法務大臣に法曹資格者が選ばれるケースは少なく、大臣就任まで司法行政の経験が皆無な人物が多い。さらに出身大学も法学部でない者も多い。 いわゆる指揮権との関係で政治家への捜査に影響力を及ぼしうる立場であるため、田中角栄がロッキード事件の収賄罪で起訴された刑事被告人ながら闇将軍に君臨していた頃は、田中派に近い政治家が就任することが多かった。またロッキード事件の捜査段階では当時の法務大臣が田中派と関係が深くない稲葉修であったことが、積極的な捜査につながったとの見方もあった。 大日本帝国憲法下(司法省)における前身は司法大臣であり、裁判所の人事権まで掌握していたが、敗戦後に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指令によって、司法省は段階的に解体・廃止され、代わりに法務庁(後に法務府)が設置され、長はアメリカの司法長官をモデルとする法務総裁(法務庁、法務府の長)となった。主権回復後、法務府から内閣法制局を分離して法務省が設置されたが、法務省の長である法務大臣の位置づけは、両者の折衷である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「法務大臣」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Minister of Justice (Japan) 」があります。 スポンサード リンク
|