|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 法 : [ほう] 1. (n,n-suf) Act (law: the X Act) ・ 寺 : [てら] 【名詞】 1. temple
法勝寺(ほっしょうじ)は、平安時代から室町時代まで平安京の東郊、白河(現在の岡崎公園、京都市動物園周辺)にあった、六勝寺のひとつである。 白河天皇が1076年(承保3年)に建立した。皇室から厚く保護されたが、応仁の乱以後は衰微廃絶した。 == 歴史 == === 創建 === 法勝寺の地は藤原氏の別荘地(白河別業)だったが、藤原師実が白河天皇に献上した。天皇はこの地に寺院を造ることを決め、1075年(承保2年)に造営を始め、以後長期にわたって多数の建物を造った。1077年(承暦元年)に毘廬舎那仏を本尊とする金堂の落慶供養が執り行われた。1083年(永保3年)に高さ約80メートルとされる八角九重塔と愛染堂が完成した。高い九重の塔は京に東から出入りする人から良く見えたという。 天皇は「神威を助くるものは仏法なり。皇図を守るものもまた仏法なり」との考えを披瀝し、仏教を保護して統治する伝説上の金輪聖王(転輪聖王)にならって法勝寺を建立した〔速水侑『日本仏教史 古代』243-245頁。〕。代々の天皇の尊崇を受けた法勝寺を、後に慈円は「国王の氏寺」と呼んだ〔速水侑『日本仏教史 古代』246頁。〕。「国王の氏寺」とは単なる「家」としての天皇家の氏寺という意味だけでなく、太政官機構の頂点に位置する"日本国の王"の寺院でもあった〔丸山仁「院政期における鳥羽と白河」(初出:『国際文化研究』第5号(1998年)/改題所収:「院政期における洛南鳥羽と洛東白河」(丸山『院政期の王家と御願寺』(高志書院、2006年)))〕。 白河には他にも次々と寺院が作られ、総称して六勝寺と呼ばれた。法勝寺は六勝寺のうち最初にして最大のものであった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「法勝寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|