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『ローマ法大全』(ローマほうたいぜん、)は、東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世が、編纂させたローマ法の法典である。ユスティニアヌス帝の名をとって『ユスティニアヌス法典』とも呼ばれる。 == 沿革 == 「東ローマ帝国」あるいは「ビザンティン帝国」は、後世用いられた呼称であり、本来の国号はあくまで「ローマ帝国」である。そして国号のみならず、国家制度においてもかつてのローマ帝国が継承され、古代ローマ以来の法律は、「東ローマ帝国」においても有効であった。 しかし、古代ローマの法律は極めて雑多なものであり、全く整理がなされていなかった。新しい法律が制定されると、古い法律の該当箇所は自動的に無効になるとされていたため、古くなった法律のどの部分が有効でどの部分が無効になるのか、長年の間に混乱が生じていた。このことによる弊害は共和政ローマの頃から存在しており、制定されたものの忘れ去られた法律も多く、たとえばガイウス・ユリウス・カエサルなどはすっかり忘れ去られていた法律を持ち出して活用し、政敵を罠にかける名人であった。そのため早急なる法体系の整備が必要とされていたものの、ユスティニアヌス帝以前にはあまり手がつけられていない状態であった(「勅法彙纂」に含まれている最古の法典部分であるハドリアヌス時代の成文法、「永久告示録」を法典整備と見なす立場もあり、更に、テオドシウス法典(Codex Theodosianus)も法典の整備と考えることができる)。 ユスティニアヌス1世は法務長官トリボニアヌスをはじめとする10名に、古代ローマ時代からの自然法および人定法(執政官や法務官)の布告、帝政以降の勅法を編纂させ、完成した『旧勅法彙纂』を529年に公布・施行した。ついで、トリボニアヌスを長とする委員に法学者の学説を集大成させた。これが533年に公布された『学説彙纂』である。これと同時に、初学者のための簡単な教科書『法学提要』も編纂させ、これまた533年に公布・施行された。このあと、新しい勅法が公布されており、かつ『学説彙纂』や『法学提要』の編纂によって、『旧勅法彙纂』を改定する必要が生じた。ユスティニアヌス帝はトリボニアヌスをして新たに勅法の集成を命じた。これで生まれたのが『勅法彙纂』であり、534年に公布・施行された。 『学説彙纂』、『法学提要』、『勅法彙纂』、『勅法彙纂』以降に出された新勅法を総称して、『ローマ法大全』という〔『ローマ法大全』の名は、後世の歴史家ディオニシウス・ゴトフレドゥス(1549年 - 1622年)が命名したものである。〕。『ローマ法大全』は東ローマ帝国の基本法典として用いられつづけ、のちに西欧の各国の法典(特に民法典)に多大の影響を与えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ローマ法大全」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Corpus Juris Civilis 」があります。 スポンサード リンク
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