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岡田 玉山(おかだ ぎょくざん、元文2年〈1737年〉 - 文化5年〈1808年〉、または9年〈1812年〉?)とは、江戸時代中期から後期にかけての大坂の浮世絵師。 == 来歴 == 月岡雪鼎または蔀関月の門人と伝わる。大坂の人。名は尚友。通称は友助、字は子徳。金陵斎と号す。『浮世絵類考』には「板刻密画の祖」と記され、近世上方における絵本挿絵の第一人者といわれる。寛政2年(1790年)以前に法橋に叙せられたことにより、「法橋玉山」とも称した〔『絵本太閤記』 、『阿也可之譚』 、『玉山画譜』 ほか。〕。 記録上に絵師として名が見えるのは、天明7年(1787年)6月出願の『女教訓小倉錦』、『百人一首玉容色紙』に「法橋岡田玉山」と記されるのがもっとも古いという。ただ、両書とも現存作品を確認できず、同年11月出願の『唐土廿四孝』が現在確認されている中で最も古い。のち文化年間にかけて板刻本の下絵を特に得意とし、寛政9年(1797年)刊行の『絵本太閤記』七編84冊、享和2年(1802年)刊行の『唐土名勝図会』など多くの挿絵を手がけた。玉山の挿絵の特徴は、画面を埋め尽くす細密さと、躍動的な描写である。図様の共通性から、玉山は中国版画や西洋の銅版画からこれらを学んだと推測されるが、当時入手困難なそれらをどこから入手したかは不明である。ただその一部は、木村蒹葭堂から得ていた可能性は高い。肉筆画では「月下美人図」のような浮世絵風美人風俗画の他に、漢画色の強い「阿房宮図」なども知られている。玉山は弟子に、京都でアクの強い美人画を描いた祇園井特の絵を模写させたという〔田島達也 「京都の美人画における井特と上龍」京都文化博物館学芸一課編集 『京都文化博物館開館5周年記念特別展 京の美人画展 ─個性派の競艶 江戸・明治・大正─』 京都文化博物館、1993年9月10日、pp.5-10。〕。 しかし『絵本太閤記』は幕府の忌諱に触れ、文化元年(1804年)5月に絶版を命じられた。ちなみに玉山作画の『絵本太閤記』に影響され『太閤記』を題材に錦絵を描いた喜多川歌麿も、これを咎められ入牢三日のうえ手鎖の刑に処せられている。文化9年(1812年)に76歳で死去したというが(『浮世絵類考』)、それ以前の文化5年(1808年)4月頃にはすでに没していたのではないかともいわれている〔山本卓「岡田玉山」国際浮世絵学会編集 『浮世絵大事典』 東京堂出版、2008年、p.98。〕。門人に石田玉山がいる。また、後の葛飾北斎や歌川国芳は、玉山の版本挿絵から学び、その細密描写や動きを自分の作品に取り込んでいる〔中山(2015)。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岡田玉山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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