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沛郡(はい-ぐん)は中国にかつて存在した郡。現在の中華人民共和国江蘇省徐州市沛県一帯に比定される。 『漢書』によれば秦朝により泗水郡が設置されたとされるが、しかし淮河、沂水、濉水、泗水が流れたことから四川郡と命名されたものが誤記されたものとする説も存在している〔辛徳勇『秦始皇三十六郡新考』北京大学中国古代史研究中心〕。秦代の郡治は相県に設置され、現在の江蘇省南部徐州市周辺から河南省南東部及び安徽省淮北市、宿州市などを管轄していた。 沛県出身の劉邦が漢朝を建てると泗水郡は沛郡と改称され、旧泗水郡の彭城(現在の徐州市)及びその付近には楚国が設置されている。後漢になると沛郡は沛国と改められ、旧沛県南西部は汝南郡に移管されている。 三国時代になると沛郡譙県出身の曹操が魏朝を建国、沛郡の大部分を新設した譙郡の管轄とし、沛郡は僅か9県の管轄とその規模は大幅に縮小している。 南北朝末期、北周により沛郡は彭城郡に編入され、沛郡の行政区画名称は消滅した。 ==注釈== 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「沛郡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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