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「波浮の港」(はぶのみなと)は1923年に野口雨情が発表した詞に、中山晋平が作曲した歌曲である。 レコードは1928年5月に佐藤千夜子が日本ビクターから、その2ヶ月後の7月には藤原義江が米国ビクターから発売している。 昭和初期の伊豆大島は、観光とは無縁の離島であった。島の南東部にある波浮港村(はぶみなとむら)は、島の中心部の新島村(1940年に新島村が元村と改称するまで大島にあるのが新島村で、新島にあるのは新島本村だった)からも三原山を挟んで反対側にあるわびしい漁村であった。 当時は東京からの船便もなく、雨情は現地には全く行かず、地図さえも確かめずに詩を書いた。このため、歌詞が必ずしも現地の風景に忠実でない部分がある。東を海に面し西側に山を背負って全く夕日が見えない波浮港に「夕焼け」を見せる点や、雨情の故郷の磯原にはたくさんいるものの、大島には全くいない海鵜が登場する点がそれにあたる(長良川の鵜飼いに使う海鵜も、磯原に近い茨城県十王町産である)。 == 歌詞 == # 磯の鵜の鳥ゃ日暮れにゃ帰る 波浮の港にゃ夕焼け小焼け 明日の日和はヤレホンニサなぎるやら # 船もせかれりゃ出船の仕度 島の娘たちゃ御神火暮らし なじょな心で、ヤレホンニサいるのやら # 島で暮らすにゃ乏しゅうてならぬ 伊豆の伊東とは郵便だより 下田港とはヤレホンニサ風だより # 風は潮風、御神火おろし 島の娘たあちゃ出船の時にゃ 船のとも綱ヤレホンニサ泣いて解く # 磯の鵜の鳥ゃ沖から磯へ 泣いて送らにゃ出船もにぶる 明日も日和でヤレホンニサなぎるやら 雨情の詩は、上記のように本来5節ある。佐藤千夜子のレコードでは5番まで歌われているが、藤原義江のレコードでは2番までしか歌われておらず、それぞれ3行目を繰り返している。 ;例 :#磯の鵜の鳥ゃ日暮れにゃ帰る 波浮の港にゃ夕焼け小焼け 明日の日和はヤレホンニサなぎるやら 明日の日和はヤレホンニサなぎるやら 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「波浮の港」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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