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波潟 和男(なみがた かずお、1966年6月29日- )は、元競輪選手。東京都出身。現役時は日本競輪選手会東京支部所属。日本競輪学校第57期卒業。 師匠は清嶋彰一。初出走は1986年5月3日の花月園競輪場で初勝利は同開催の5日。 == 戦績 == 東京都立高島高等学校在学中から自転車競技を行っており、高校卒業後は日本競輪学校に第57期生として入学し、在校成績14位で卒業する。デビュー後は先行や捲りを武器に活躍し、師匠の清嶋に次ぐ東京の大型先行選手として注目されるようになったが、1989年8月に清嶋が福井に移籍し袂を分かつことになる。 直後の同年11月に競輪祭の決勝を捲りで優勝して特別競輪制覇を果たし、地元の立川競輪場で翌月開催となるKEIRINグランプリへの出場を決定させた。しかしこの開催は日本競輪選手会のストライキにより中止となってしまい、当初グランプリの壮行会を兼ねて行われる予定だった競輪祭の祝勝会では、人目をはばからず涙したことが当時の報道で伝えられた。 だが1990年5月、前橋競輪場において事実上KEIRINグランプリ'89の代替レースとして開催された『スーパープロピストレーサー賞』に出走して見事優勝し、同年11月の競輪祭でも決勝2着となる。1991年には世界選手権(ドイツ・シュトゥットガルト)にもスプリント種目で出場しており、関東地区の先行選手としての地位を確立するまでになった。 しかしこの直後から持病の腰痛に悩まされ先行力が発揮できなくなってしまい、徐々に戦法を捲りから追い込みに変えていくことになり、特別競輪での活躍は続けていたものの、再びタイトルに手が届くことはなく、結果的に地元での晴れ舞台となるKEIRINグランプリへの出場を果たすことはできなかった。 2006年末からはレースに出場せず長期欠場を続けていたが、結局は先に2007年2月に引退した師匠の清嶋に続く形で、2007年5月に引退を表明。本人の意向で引退セレモニーは行われず、同年5月29日に選手登録消除された〔登録消除者一覧(平成19年度) - 公益財団法人 JKA 、2014年3月15日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「波潟和男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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