|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 洞 : [ほら, どう] 【名詞】 1. cave 2. den 3. grotto ・ 峠 : [とうげ] 1. (n,n-suf) ridge 2. (mountain) pass 3. difficult part
洞ヶ峠(ほらがとうげ)は、京都府八幡市八幡南山 と 大阪府枚方市高野道・長尾峠町の境にある峠。かつては東高野街道の中継地であり、現在はその少し東を国道1号(枚方バイパス、京阪国道)が通っており、峠のすぐ北に八幡洞ヶ峠交差点(山手幹線の交点)がある。峠ではあるが、曲がりくねった坂道はなく、線形の良い緩やかな勾配の4車線道路である。 == 伝承 == 天正10年(1582年)、本能寺の変の直後に主君織田信長を討った明智光秀の軍と信長の重臣羽柴秀吉の軍が山城国山崎において激突した(山崎の戦い)。この時、明智・羽柴の双方から加勢を依頼された大和の大名筒井順慶は、一度は明智側に従って山崎の南方にある洞ヶ峠まで兵を進めながらも、最終的にはどちらに付くか日和見をしたとの伝説があったため、日和見する事を洞ヶ峠あるいは洞ヶ峠を決め込むと表現する事がある。 しかし、この伝説は史実に反しており、筒井順慶は最終的には洞ヶ峠に着くことなく大和へと撤兵して中立を保ったと言われている。史実に関連するもののほかに、この峠は京の都・大坂を眺望できるため、民話の舞台となった。筒井康隆は『筒井順慶』にて、山崎の戦いを一望するさまが想像にかたくないその眺望が、後世の人間に日和見伝説を生ませたのではなかろうかという考察を書いている。 枚方市側の高野道・長尾峠町はともに河内国交野郡長尾村の出郷で、江戸時代以来の集落であるが、現在の住居表示は1975年に実施されたものである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「洞ヶ峠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|