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洞院 公守(とういん きんもり)は、鎌倉時代の公卿。同母兄妹に権中納言公宗、亀山天皇皇后佶子(京極院)がいる。亀山天皇・後深草天皇・伏見天皇の外叔父にあたり、位人臣を極めて従一位・太政大臣に至った。 == 来歴 == 建長5年(1253年)従五位下に叙位。翌建長6年(1254年)従五位上に昇叙。建長7年(1255年)侍従に任じられる。正嘉元年(1257年)正五位下に進む。 正嘉2年12月(1259年1月)右近衛少将に任じられる。翌年従四位上に進み、正元2年(1260年)右近衛中将、文応2年(1261年)正四位下・讃岐介に叙任。中宮権亮を兼ねて姉の佶子に仕える。同年8月に佶子が亀山天皇の皇后となると皇后宮権亮に任じられた。左近衛中将を経て、文永3年(1266年)能登権介を兼ねる。文永4年(1267年)に従三位に昇叙して公卿に列した。 文永7年(1270年)に正三位・権中納言となる。文永8年(1271年)には異国(蒙古と高麗)の降伏を祷るために伊勢に遣わされている〔『続史愚抄』文永8年12月16日条。〕。皇后宮権大夫を経て、文永9年(1272年)従二位、建治4年(1278年)正二位に昇叙し、弘安6年(1283年)権大納言に任じられる。正応3年(1290年)左近衛大将に任じられ、内大臣となるが、正応4年(1291年)に両職を辞した。永仁4年(1296年)には従一位に至る。 正安元年(1299年)太政大臣となるが、同年のうちに辞する。嘉元3年(1305年)素懐により出家した。法名は素元(そげん)。 文保元年(1317年)7月10日、69歳で薨去。山本相国(やまもと しょうごく)と呼ばれ、十三代集などには山本入道前太政大臣(やまもと にゅうどう さきの だじょうだいじん)の名で歌が収録されている。また正親町(おおぎまち)を号し、次男の実明が分家して正親町家を興している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「洞院公守」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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