翻訳と辞書
Words near each other
・ 洞院実夏
・ 洞院実守
・ 洞院実泰
・ 洞院実清
・ 洞院実煕
・ 洞院実熈
・ 洞院実熙
・ 洞院実雄
・ 洞院家
・ 洞院愔子
洞院摂政
・ 洞院満季
・ 洞雲寺
・ 洞雲寺 (仙台市)
・ 洞雲寺 (岐阜県白川町)
・ 洞雲寺 (常滑市)
・ 洞雲寺 (廿日市市)
・ 洞雲寺 (白川町)
・ 洞雲寺 (飛騨市)
・ 洞雲院


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

洞院摂政 : ミニ英和和英辞書
洞院摂政[ほら, どう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほら, どう]
 【名詞】 1. cave 2. den 3. grotto 
摂政 : [せっしょう]
 【名詞】 1. regent 2. regency
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 

洞院摂政 ( リダイレクト:九条教実 ) : ウィキペディア日本語版
九条教実[くじょう のりざね]
九条 教実(くじょう のりざね、建暦元年(1211年)- 文暦2年3月28日1235年4月23日))は、鎌倉時代中期の公卿摂政関白太政大臣九条道家の長男。官位従一位摂政関白左大臣。通称に洞院摂政(とういん せっしょう)、洞院殿など。
== 来歴 ==
承久元年(1219年)鎌倉将軍源実朝が暗殺され源頼朝の血統が絶えると、父母が頼朝の縁戚にあたる九条家の子弟が摂家将軍として迎えられることになった。その際に教実もその候補に擬せられたが、結局次弟の頼経が将軍に迎えられることとなり、自身は九条家を相続することになった。九条家はこの教実の代に分裂し、三弟の良実二条家の、と四弟の実経一条家の祖となったため、以後の教実の系統を特に後九条家と呼ぶこともある。安貞元年(1227年)右大臣寛喜3年(1231年)左大臣となり、同じ年、父から関白と藤氏長者を譲られるが、実権は父に握られていた。安貞2年(1232年)に後堀河天皇が譲位して四条天皇践祚するとその摂政となった。
天福元年(1233年)9月に藻璧門院が、翌年8月には後堀河院が相次いで崩御すると、これは承久の変で配流となり皇統から外れた隠岐院(後鳥羽上皇)の怨念の成せる業だと噂されるようになった。そこで教実は上皇の帰洛を幕府に諮ったが失敗に終わり、それから間もなくして薨去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「九条教実」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.