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鷺舞(さぎまい)とは主として八坂信仰の神社にて奉納される伝統舞踊。島根県津和野町及び京都市の八坂神社で奉納されるものが著名である。 津和野町のものは「津和野弥栄神社の鷺舞」として国の重要無形民俗文化財に指定されている(1994年〈平成6年〉)。 == 歴史 == 鷺舞の源流は八坂神社の祇園祭にて奉納されたもので、中国の七夕伝説を端緒にするものとされる。また、名前は鷺舞であるが、この鷺とは歌詞(後述)にもあるように、鵲であるともされる。鵲は七夕伝説に於いて、牽牛と織女のため、天の川に桟を渡した存在であり、歌詞もその伝承に因んだものである(後述)。しかしながら、京都では鵲は飛来してこないため鵲という存在を知らず、そのため鵲とは鷺の一種であろうと笠を被った白鷺をカササギに見立てたものとされている。鵲の姿が黒色(胴と風切羽の一部は白、翼の縁は青)であるのに対し、姿が白いのはそのためである。 津和野の鷺舞は山口祇園会を経て伝習されたもので、1542年(天文11年)、時の城主、吉見大蔵正頼が大内義興の息女を迎え入れたことで、彼女の疫病除けを祈念して始められた。その後、戦乱の世に伴って一旦廃絶するものの、1645年(正保元年)に亀井茲政が坂田屋兵左衛門ならびに野村仁左衛門の二人を京都に派遣、鷺舞を直接習得させたことで、津和野では以後四百年に亘る年月の間、一度も廃絶することなく連綿と奉納され続けることになった。もっとも、その間、様式が変わったり、様々な儀式やならわしなどが簡略化されるなどしており、完全にありのままの形が継承されているわけではないが、貴重な文化遺産であるとして、1994年に国の重要無形民俗文化財に指定された。 一方の本家、八坂神社では江戸時代中期に絢爛豪華な山鉾や傘鉾巡行に圧されるような形で存在感が薄くなっていき、いつしか廃絶の憂き目にあった。その後は、戦後になるまで奉納はされなくなっていたが、1956年(昭和31年)、祇園会保存会の一員でもあり、狂言師でもある木村正雄が逆に津和野の鷺舞を習得したことで復活、再び奉納されるようになった。今日ではそのほか、山口市(山口祇園祭鷺の舞)、秋田県潟上市(飯田川鷺舞まつり…1984年〈昭和59年〉より)、浅草寺(浅草寺白鷺の舞…1968年〈昭和43年〉より)などでも奉納されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鷺舞」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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