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遠藤事件(えんどうじけん)は、1975年に新潟県東蒲原郡で発生した交通事件である。新潟(津川町)ひき逃げ事件とも呼ばれる。 1975年12月20日夜、東蒲原郡津川町を走る国道49号上で轢死体が発見された。捜査の結果、事件発生時前後に現場を通過していた当時20歳のトラック運転手、遠藤祐一がひき逃げ犯として浮上した。ほどなく警察の調べに対し遠藤はひき逃げを自供し、そのトラックからも多数の血痕や毛髪が発見されたとされた。しかし、1977年に新潟地裁へ在宅起訴された遠藤は容疑を全面的に否認した。弁護側も、トラックの付着物には不自然な点があり、真犯人は他に存在する、と法廷で訴えた。だが、1982年に下った一審判決は執行猶予付きの有罪判決だった。弁護側は東京高裁へ控訴するも、1984年に控訴は棄却された。 しかし、冤罪を訴える弁護側にもやがて支援の声が集まり、1989年の上告審判決において最高裁は、最高裁判断において極めてまれな、破棄自判による無罪判決を言渡した。これにより遠藤の無罪は確定し、事件は発生から13年を経て冤罪と認められた。その後、遠藤は国のみならず起訴検察官と一審、控訴審裁判官らに対しても国家賠償請求訴訟を提起したが、訴えはすべて退けられている。 == 事件現場 == 1975年当時、福島県いわき市から新潟県新潟市までを結ぶ国道49号は、両県県境の新潟側で最初に東蒲原郡津川町を通過していた〔伊佐 (1990) 171-172頁〕。阿賀野川と会津街道の交錯する要衝である津川町は、古くは津川城の城下町として栄え、それと同時に城下町の特徴として弓矢や鉄砲などの飛び道具を無効化するために、道路がほぼ直角にねじ曲げられてクランクを形成している地点が存在した〔。事件当時、このクランクには信号機がなく、さらに直角のカーブ地点では中量級車同士がすれ違うだけの道幅はなかった〔矢貫 (1988) 21-22頁〕。そして、クランクから新潟市方面へ約140メートル進んだ地点にはタクシー会社の電飾看板が設置されていた。遠藤事件の現場となったのは、国道49号上のこのクランクから新潟市方面へおよそ270メートル進んだ地点である〔。 1975年12月20日の21時25分頃〔江川 (2004) 60頁〕、頭部から胸部にかけてを轢過された状態の土木作業員(当時40歳)の遺体が現場で発見された〔矢貫 (1988) 14-17頁〕。被害者は酩酊して道路中央で寝込んでいたところを轢き殺されたとみられたが〔、現場には血液によるタイヤ痕はなく、塗膜片などの車の遺留物も発見されなかった〔和田 (1989) 55頁〕。しかし現場の状況から、加害車両はいわき市方面へ走行する単一の中量級トラックないしバスであると推定された〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「遠藤事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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