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津村紀三子 : ミニ英和和英辞書
津村紀三子[つむら きみこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [み]
  1. (num) three 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

津村紀三子 : ウィキペディア日本語版
津村紀三子[つむら きみこ]

津村 紀三子(つむら きみこ、1902年8月16日 - 1974年4月12日)は、シテ方観世流能楽師。緑泉会宰主。東京都出身。
== 略歴 ==
1902年(明治35年)兵庫県明石生まれ。本名しげ。婚姻前の呼名は「津村君子」。兄は劇作家の津村京村。7歳頃から謡曲を習いはじめ、1921年(大正10年)、観世華雪に師事。東京と朝鮮を往復しながら釜山京城(現・ソウル)で謡曲仕舞を教え、京城で「羽衣」「菊慈童」などを演能した。しかしながら、当時の能楽界は女人禁制とされており、女性による演能は許されていなかったため、師から破門されることとなった。以後、非公式ではあるが東京・釜山・京城などで活動を続けた。
1939年(昭和14年)大槻十三門で正式に能楽界へ復帰。女性で初めて師範の免状を受ける。「猩々乱」披曲、準職分認定。大内正美と結婚。1948年(昭和23年)、女性の能楽協会への加入が認められた事を受けて、社団法人能楽協会に会員登録。1950年(昭和25年)「道成寺」を披く。同年肺結核に侵されるが、病床で新作能を手掛ける。1956年(昭和31年)再起。緑泉会の後継者を育てながら新作能を発表し、演能活動を続けた。1974年(昭和49年)死去、享年72。近現代能楽史における女性能楽師の先駆者とも評されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「津村紀三子」の詳細全文を読む




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