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津田孟昭 : ミニ英和和英辞書
津田孟昭[つだ たけあきら]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 

津田孟昭 : ウィキペディア日本語版
津田孟昭[つだ たけあきら]
津田 孟昭(つだ たけあきら、慶安4年(1651年) - 享保9年8月3日1724年9月19日))は、加賀藩の家老、人持組津田玄蕃家第4代当主。
父は津田正真。子は津田敬脩津田孟正竹田好徳。通称逸角、右兵衛、玄蕃。初名は正卿、正加。号義門。
延宝3年(1675年)、父正真の死去により家督と知行8000石を相続する。天和3年(1683年)、若年寄となる。貞享2年(1685年)、定火消となる。貞享3年(1686年)、2000石を加増され家老となる。元禄3年(1690年)、金沢の大火の際に、鷹狩で不在だったことを咎められ、藩主前田綱紀に家老を解任される。宝永年中、神護寺天徳院証取火消となる。享保5年(1720年)、再び家老に登用され、世子吉徳の守役を兼任する。
享保9年(1724年)、隠居して家督を嫡男敬脩に譲り、隠居料700石を賜り義門と号す。同年8月3日没。享年74。
== 参考文献 ==

* 『加賀藩史稿』



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「津田孟昭」の詳細全文を読む




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