翻訳と辞書
Words near each other
・ 津田寺
・ 津田将順
・ 津田小学校
・ 津田山
・ 津田山 (徳島市)
・ 津田山駅
・ 津田川
・ 津田川 (大阪府)
・ 津田左右吉
・ 津田市正
津田幸男
・ 津田幸男 (言語学者)
・ 津田幼稚園
・ 津田広喜
・ 津田廣喜
・ 津田延代
・ 津田弘
・ 津田弘道
・ 津田弥太郎
・ 津田彰


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

津田幸男 : ミニ英和和英辞書
津田幸男[つだ ゆきお]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [さち]
 【名詞】 1. happiness 2. wish 3. fortune 
: [おとこ]
 【名詞】 1. man 

津田幸男 : ウィキペディア日本語版
津田幸男[つだ ゆきお]

津田 幸男(つだ ゆきお、1917年8月15日〕 - 1979年4月17日)は、日本の元サッカー選手サッカー指導者。ポジションはGK兵庫県神戸市出身。
== 経歴 ==
第一神戸中学校時代に二宮洋一直木和らと共に1933年に全国中等学校蹴球選手権大会(後の全国高等学校サッカー選手権大会)で優勝。卒業後には二宮と共に慶應義塾大学へ進学し、体育会ソッカー部へ入部。レギュラーの座を掴むと関東大学サッカーリーグ戦4連覇(1937年、1938年、1939年、1940年)、1937年の全日本総合蹴球選手権大会 (後の天皇杯全日本サッカー選手権大会)優勝、慶應BRB(現役選手とOBからなる混成チーム)の一員として1936年、1939年、1940年の全日本総合蹴球選手権大会 優勝に貢献した。
1941年に大学卒業後、三菱重工業に入社。創設されて間もないサッカー部の主力選手として活躍した。
日本代表としては1938年4月7日のイズリントン・コリンシャンズ(イングランド)戦で代表デビューを飾ると、代表の正GKに定着し、1939年の日満華交歓競技大会、1940年の東亜競技大会に出場した。第二次世界大戦の影響により、選手キャリアを中断したが、戦後の1951年に日本が国際舞台への復帰を認められると代表復帰を果たし、同年3月のアジア競技大会に出場するなど国際Aマッチ4試合に出場した。
晩年は慶應義塾大学体育会ソッカー部OB会会長を務めた。1979年4月17日、パーキンソン病により死去、享年61。〔サッカーマガジン1979年6月10日号P34〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「津田幸男」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.