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津田教脩 : ミニ英和和英辞書
津田教脩[しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [しゅう]
 【名詞】 1. dried meat 2. dry up

津田教脩 ( リダイレクト:津田教修 ) : ウィキペディア日本語版
津田教修[つだきょうおさむ]
津田 教修(読み不詳、1850年嘉永3年)9月 - 1907年明治40年))は、津田一伝流剣術家日本陸軍軍人階級陸軍中佐栄典従五位勲四等功四級陸軍軍刀術銃剣術の創設に貢献した〔津田一伝流第二世碑『久留米碑誌』久留米碑刊行会1937.3 P58〕。
== 経歴 ==
1850年嘉永3年)9月、久留米藩藩士津田一伝流剣術開祖津田一左衛門正之の長男として生まれ、父から剣術を学ぶ。
廃藩後の1872年(明治5年)、22歳で津田一伝流・2代師範役となり〔津田一伝流第二世碑『久留米碑誌』P591875年〕、同8年、陸軍兵学寮に入る〔。
1877年(同10年)西南戦争に従軍〔。
1892年(同25年)陸軍戸山学校教官体操科長となる〔。陸軍戸山学校では津田が中心となり、それまでフランス式であった剣術教範を改正し、日本の剣術槍術をもとに片手軍刀術銃剣術を制定に参画した。
その後、日清戦争第1師団歩兵第2連隊中隊長で従軍し〔「久留米藩剣術御流儀「津田一伝流」について」荒木英之『久留米信愛女学院短期大学紀要10号』1987、p47〕また日露戦争には少佐後備歩兵第48連隊大隊長として従軍、のち後備歩兵第20連隊長に補せられ、遼東に転戦して武功を立てた〔。この間、それらの軍功により中佐に進み、従五位勲四等功四級を賜った〔。しかし、戦争中大陸で負傷し、1905年(明治38年)8月退役。帰郷療養中、1908年(明治41年)3月13日に没す。
享年58〔。
久留米市本町、無量寺に葬られる〔。
1911年(明治44年)10月門人、旧友によって篠山神社境内に「津田一伝流第二世碑」が建立された〔。碑文は内藤新吾が撰した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「津田教修」の詳細全文を読む




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