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津田 出(つだ いずる、天保3年2月1日(1832年3月3日) - 明治38年(1905年)6月2日)は、幕末期から明治前期にかけて活躍した武士・官僚、陸軍軍人。明治新政府に先駆けて紀州藩藩政を改革して徴兵制を施行するなど、テストケースとして廃藩置県及び徴兵令に影響を与えた。官位は錦鶏間祗候陸軍少将従二位勲一等。通称は又太郎。号は芝山。 津田家は河内国交野郡津田城主楠木正儀の後裔であり、戦国期に紀州に移り、藩祖入国以前からの住人として、代々紀州藩に仕えていた。家禄300石の布衣以上の頭役の父・信徳(三郎右衛門)の長男として紀州藩(現在の和歌山県和歌山市)で生まれる。弟は初代和歌山県知事の正臣。 == 年表 == * 1832年 - 紀州藩で生まれる。 * 1854年(安政元年) - 江戸へ蘭学修行に行き、帰藩後は蘭学教授となる。〔「津田出」項、日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年〕 * 1853年 - 江戸藩邸にて蘭学教授を務める。 * 1857年 - 病弱を理由に和歌山に帰り、家督を弟の正臣に譲る。 * 1858年 - 第14代藩主に茂承が就任すると、御小姓役奥祐筆組頭に抜擢。 * 1864年 - 第1次長州征討後、再び、病を得て職を辞す。 * 1866年7月 - 第2次長州征討で藩主茂承留守中の執政を一任される。 * 1866年12月 - 藩主茂承の和歌山帰城後、執政太夫に任じられる。 * 御国政改革趣法概略表の採用。 * 1867年 - 藩内抗争に巻き込まれ、地位を追われ、無期限禁固処分に付される。 * 1868年 * 10月 - 明治天皇即位。 * 11月 - 藩主茂承から藩政改革の全権を委任される。 * 陸奥宗光に会い、郡県制度、徴兵令の構想を伝える。 * 1869年 * 2月 - 藩政改革で、軍務局を設置。 * 7月13日 - 版籍奉還上奏後、和歌山藩大参事に任命。 * 10月 - 最初の徴兵令である交代兵取立之制を発令し、交代兵要領で施行。 * 11月 - プロイセン王国下士官カール・ケッペンを招聘し、ドイツ式軍政改革を遂行。 * 1870年 * 1月 - 交代兵要領を廃して、兵制改革兵賦を編成し、兵賦略則を布達する(兵賦略則は、明治6年、新政府による徴兵令の先駆けとなる)。 * 3月 - 徴兵検査に関する布達とつぎつぎに徴兵制に関する整備を行う。 * 1871年 * 3月 - 上京。 * 6月 - 陸奥宗光に都督(徴兵軍の総指揮官)を譲る。 * 7月14日 - 新政府による廃藩置県により、和歌山県大参事に任命。 * 7月28日 - 太政官制度が一新され、大蔵少輔に任命。従五位を叙位される。 * 8月12日 - 病身を理由に依願免官。大蔵省四等出仕として、病気療養。 * 1872年 * 1月 - 明治3年12月の賞賜米一時下げ渡しの処置に詮議が入る。 * 2月13日 - 免出仕、位証返上。 * 11月 - 裁判所判決下る。大蔵省四等出仕を免じ、従五位の返上、閉門100日の処分。 * 1873年3月29日 - 会計監督長兼陸軍省第五局長 * 1874年 * 2月8日 - 任陸軍少将兼陸軍省会計監督長第一局長を兼ねる。 * 3月31日 - 任兼陸軍大輔、免兼陸軍省第五局長 * 4月5日 - 陸軍卿代理(6月3日まで、西南戦争への対応のため)。 * 7月8日 - 再び陸軍省第五局長を兼ねる。 * 10月5日 - 免兼陸軍省第一局長 * 1875年4月25日 - 元老院議官を兼ねる。年俸4,000千円一等官の地位。 * 1878年 - 千葉県、茨城県にまたがり、アメリカ式大農法の試み始める。 * 1879年10月14日 - 会計監督長及び陸軍省第五局長の兼職を免ぜられる。 * 1881年7月16日 - 叙勲三等。 * 1885年 - 国内初、乳牛ホルスタイン種を導入。 * 3月29日 - 元老院議官官等年俸、勅任一等年俸3,500円に改訂。 * 10月20日 - 叙従三位。 * 11月30日 - 叙勲二等。 * 1888年 - 予備役編入 * 1890年9月29日 - 貴族院議員に勅選される〔『官報』第2182号、明治23年10月6日。〕。 * 10月20日 - 元老院廃官、非職。錦鶏間祗候〔『官報』第2195号、明治23年10月22日。〕。 * 11月4日 - 依願免本官。 * 1894年5月21日 - 叙正三位。 * 1902年4月1日 - 退役。 * 1905年6月1日 - 従二位勲一等瑞宝章。 * 6月2日 - 死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「津田出」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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