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津田 頼房(つだ よりふさ、? - 元禄3年3月18日(1690年4月26日))は、宇陀松山藩士。宇陀松山藩主織田高長の五男。通称は内蔵助。 == 生涯 == はじめは宇陀松山藩士千賀道的の養子となる。正保元年(1644年)、500石の知行を与えられる。寛文12年(1672年)千賀家を離籍し、織田家に復籍、津田姓を称し分家する。元禄3年(1690年)3月18日、病気療養のために滞在していた京都で死去。法正寺に埋葬された。 元禄3年6月16日、息子頼城が家督を相続した。同じく息子の宗訓は安土総見寺の住職になった。なお、津田家は、頼城・頼張・頼利・頼矩・頼稲(実父頼利)・頼匡(実父頼矩)・頼道(実父頼匡)・頼順(実父市川長寧)と継承されて、明治維新を迎えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「津田頼房」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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