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津軽信興 : ミニ英和和英辞書
津軽信興[つがる のぶおき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [けい]
  1. (n,pref) light 
軽信 : [けいしん]
 (n,vs) gullibility
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [こう]
 【名詞】 1. interest 2. entertainment 3. pleasure 

津軽信興 : ウィキペディア日本語版
津軽信興[つがる のぶおき]
津軽 信興(つがる のぶおき、元禄8年7月28日1695年9月6日) - 享保15年11月25日1731年1月3日))は、陸奥国弘前藩第5代藩主・津軽信寿の長男。母は松平忠尚養女・法雲院。従五位下、右京亮越中守。正室は醍醐冬基の娘で近衛家煕の養女・梅応院。子は信著、女子(脇坂安興正室)、女子(松平忠恒正室)。
幼名は磐麻呂。弘前藩の嫡男として生まれる。宝永3年(1706年)4月25日、徳川綱吉に拝謁。宝永7年(1710年)12月23日、従五位下右京亮に叙任。享保15年(1730年)7月13日、越中守に改称。しかし麻疹を患い、同年11月25日、藩主就任前に死去した。享年36。墓所は寛永寺津梁院。法号は端巌院。藩主は信興の長男・信著へと継承された。信著は藩主就任当時13歳であった。
== 参考文献 ==

*『青森県史』第2巻



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「津軽信興」の詳細全文を読む




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