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津軽地方(つがるちほう)とは、現在の青森県西部を指して言う地域呼称。江戸時代に津軽氏が支配した領域(弘前藩・黒石藩の領域)および津軽郡の領域にほぼ相当する。 明治維新で陸奥国(むつのくに)が分割されて設置された陸奥国(りくおうのくに。青森県全域と岩手県西北部)の異称「津軽国」とは異なる。 ==定義・区分== 津軽郡や津軽氏領の弘前藩・黒石藩の範囲については当該記事を参照。 広義の津軽地方は、弘前市を中心にした南部の「中弘南黒地区」、五所川原市を中心とした北西部の「西北五地区」、青森市を中心とした北東部の「東青地区」の3つの地区で構成される。津軽と呼ばれる地域が津軽平野南部から拡大してきた歴史的な経緯から、中心を中弘南黒地区と見て、中弘南黒地区のみ、あるいは、中弘南黒地区と西北五地区の2つの地区で狭義の津軽地方とする場合もある。狭義を用いる場合は、東青地区は「青森地方」などと呼ぶ。また、岩木川がつくる津軽平野を中心とした地域圏と認識される場合もある。なお、西北五地区から津軽半島にかけての地域を奥津軽と呼ぶこともある。 夏泊半島(平内町地域)は鎌倉時代の初めまでは糠部郡の一部であり、陸奥湾岸(青森市と東津軽郡の地域)は外ヶ浜といわれ、中世までは津軽に含めないこともあったが、近世以降は津軽郡が設置されてその一部となった。 また、西南端域(旧岩崎村地域)は中世までは出羽国檜山郡に含まれていたと推定されている〔村井章介・斉藤利男・小口雅史編 『北の環日本海世界』 山川出版社、2002年、ISBN 4634605309〕が、慶長8年(1603年)に津軽氏と佐竹氏の交渉により津軽領となった〔「深浦町の歴史」(深浦町公式サイト内) 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「津軽地方」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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