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津軽政たけ : ミニ英和和英辞書
津軽政たけ[つがる まさたけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [けい]
  1. (n,pref) light 
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 

津軽政たけ : ウィキペディア日本語版
津軽政たけ[つがる まさたけ]

津軽 政兕(つがる まさたけ、寛文7年6月10日1667年7月30日) - 寛保3年1月25日1743年2月19日))は、江戸時代旗本陸奥弘前藩分家・黒石領4,000石の3代当主。父は津軽信敏。官位は正六位下、釆女正。通称は津軽采女。日本最古の釣り指南書『何羨録』の著者として知られる。子に綾姫(津軽寿世室)
== 生涯 ==
寛文7年(1667年)、津軽信敏の嫡男として誕生する。天和3年(1683年)12月に家督を相続。交代寄合格となり、本家の陸奥弘前藩主・津軽信政(父の従兄)から偏諱を受け、政兕と名乗る。貞享3年(1686年)9月、出羽米沢藩主・上杉綱憲の養女・阿久理(実父は吉良義央、綱憲の実妹)と婚姻するが、翌4年(1687年)阿久理が死去している。
元禄3年(1690年)11月23日に桐間番、12月2日に江戸幕府5代将軍徳川綱吉小姓となる。元禄6年(1693年)には小姓を御役御免となり、小普請組に再編入された。
元禄15年(1702年)12月14日、元・赤穂藩士により義父・吉良義央が殺害される(赤穂事件)。事件の翌朝、吉良邸に真っ先に駆けつけたのが政兕主従とされる。
享保8年(1723年)、日本最古の釣り指南書とされる『何羨録』を執筆した(ただし享保元年には執筆完了していたとの説もある)。この当時、武士の間では釣りが愛好されており、政兕も嗜んでいた。徳川綱吉により生類憐れみの令が施行されると、「釣魚は武士の修練のうち」とされ黙認されていたが、その後の数度の法改正により釣りは規制対象となり、違反者の処罰や釣り道具の販売も禁止された。このような釣りを取り巻く環境は、綱吉が死去し、宝永6年(1709年)に新井白石によって生類憐れみの令が廃止により解禁されるまで続いた。 本書の冒頭には「釣りは江戸の娯楽」「釣り船に乗れば社会的名誉は重要ではない」との趣旨の一文が添えられている。
寛保3年(1743年)死去。生前に子や孫に先立たれ、黒石領は津軽本家からの婿養子の寿世(信政の五男)が相続した。

なお、宝暦2年(1753年)4月 黒石市牡丹平の八幡宮境内に馬術調律のため馬場(現存)を開設した、と伝承記録されているが、死亡年とは合致しない。





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「津軽政たけ」の詳細全文を読む




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