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津軽政直 : ミニ英和和英辞書
津軽政直[ひた, ちょく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [けい]
  1. (n,pref) light 
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 
: [ひた, ちょく]
 【名詞】 1. earnestly 2. immediately 3. exactly

津軽政直 ( リダイレクト:那須資徳 ) : ウィキペディア日本語版
那須資徳[なすしとく]

那須 資徳(なす すけのり)は、江戸時代前期の大名下野烏山藩2代藩主。陸奥弘前藩4代藩主津軽信政の三男。
天和3年(1683年)閏5月1日、母方の大叔父にあたる那須資弥の養子となる。同年7月11日、将軍徳川綱吉御目見する。貞享4年(1687年)8月25日、資弥の死去により家督を相続する。同年10月14日、改易となり、実父津軽信政のもとに預けられた。
元禄7年(1694年)閏5月から翌年3月にかけて、信政に従って弘前城に赴き、寺社参詣・湯治などをする
元禄13年(1700年)5月20日、信政の運動により旗本に取り立てられて、小普請に所属する。後に寄合に所属する。元禄14年(1701年)12月25日、下野那須郡内1000石を与えられた。宝永2年(1705年)6月3日、津軽家より合力米3000石を得る。宝永5年(1708年)4月5日、交代寄合となる。同年6月25日、死去、享年37。
== 烏山騒動 ==
改易に至る事件は俗に烏山騒動と呼ばれる。養父資弥の次男である福原資寛とその生母が、資徳の家督相続を不当であると訴えたことに始まる。幕府は資弥が実子である資寛の存在を隠したまま、養子の資徳に家督相続させたことを問題とした。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「那須資徳」の詳細全文を読む




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