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津軽 為貞(つがる ためさだ)は、江戸時代前期の弘前藩の武士。 == 生涯 == 兄信政の命で出家して高野山に入り、自性院の住職となった。しかし、本人に僧になる気はなく、寛文8年(1668年)5月に勝手に弘前に帰国し、乞食坊主の姿で兄政朝の所に転がり込みをあきれさせた。そして、実母に会い、還俗して大蔵を名乗るも、信政の怒りを買い、11月金木村に蟄居となり、工藤祐由預かりとなった。金木村川原添にあった「大蔵屋敷」というのがその場所であるという。元禄3年(1690年)11月放免された。これは母与曽子(久祥院)が大病にかかり、死の間際にと藩主信政に懇願したからだという(実際には2年後の元禄5年(1692年)4月4日没)。また、放免の前年には工藤祐由が死去している。この時、能書家であり、博識で知られた為貞は追悼として、漢詩(祐由雅文霊鑑)と和歌を残している。 :人生六拾近来少 身後擬雲富貴名 昨日春風空吹去 袛弥陀仏断腸声 :霞わけて雁とこの世を去る人は月やこし地の暗を照らさん 元禄10年(1697年)手廻五番組頭、正徳2年(1712年)には800石で城代家老となった。藩主の叔父として頭布、杖御免の登城自由勝手の大身であり、権勢を振るったと同時に茶人、歌人さらには菊仕立でも名を馳せた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「津軽為貞」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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