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津軽 熊千代(つがる くまちよ)は、江戸時代前期の武士。津軽信建の嫡男。弘前藩初代藩主津軽為信の孫。 ==生涯== 慶長12年(1607年)、父と祖父が同年に死去。そのため家督を継承するはずだったが、熊千代が幼少であることを理由に熊千代の叔父・信枚を擁立する一派が現れ家中が分裂。結局、幕府の裁定で、信枚が藩主の座につくこととなった。 嫡流である熊千代が藩主として認められなかった理由は、津軽は北方の蝦夷地への備えを受け持つ藩であり幼少の熊千代ではその任を全うできないためというのが表向きだが、父・信建が関ヶ原の戦いの時に大坂城へ滞在しており、幕府から見れば西軍方の人間同様の行動をしたのが最大の原因だとされている。 この騒動のため、弘前に帰れなくなった熊千代は加藤清正に仕えたが、病弱であったため直ぐにこれを辞して隠居。その後は弘前藩からの送金100両を元手に江戸万隆門の屋敷にて生活を営み23歳の若さで死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「津軽熊千代」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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