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津野 浩(つの ひろし、1965年8月6日 - )は、高知県高岡郡四万十町出身の元プロ野球選手(投手)。現在はプロゴルファー。 からの登録名は津野 広志、は津野 浩志。 == 来歴・人物 == 高知商業では甲子園に3回出場〔週刊ベースボール2015年9月7日号 P78〕。2年生の時、1982年春の選抜に中脇幸夫の控え投手として出場。2回戦では先発に起用されるが、郡山高に1-5で敗れた。同年夏の甲子園でも1回戦で安積商を相手にリリーフ登板、この試合に勝ち2回戦に進むが、東海大甲府に敗退。翌1983年夏の甲子園はエースとして出場。3回戦で箕島高校の吉井理人から満塁本塁打を放つなど打撃面でも活躍を見せた。この大会では準々決勝に進出するが、桑田真澄、清原和博のいたPL学園に9-10の接戦で敗れる。この試合では2年下の中山裕章のリリーフを仰いだ。 1984年、ドラフト3位で日本ハムに入団(同期に白井一幸がいる)。1年目から活躍し同期の西武・渡辺久信、南海・加藤伸一らと共に「19歳トリオ」と呼ばれた。 高田繁監督在任中の翌1985年から3年連続で開幕投手を務めるなどローテーション投手として活躍。1987年に西崎幸広が日本ハムに入団するまでは、柴田保光と共に投手陣の屋台骨を支えた。しかし1990年からは肘の故障から低迷、1991年オフに金石昭人との交換トレードで山本浩二監督率いる広島に移籍した。 しかし広島では1試合投げただけで自由契約になり、1992年オフに入団テストを受け高木守道監督率いる中日に入団する。1994年オフに金銭トレードで広岡達朗ゼネラルマネージャー及びボビー・バレンタイン監督就任直後のロッテと球団を次々と移る。93年に復活の兆しは見せたもののそれ以降はまたしても怪我や不振に陥り、1997年現役を引退。 現在は横浜スポーツマンクラブ所属のプロゴルファー〔週刊ベースボール2015年9月7日号 P79〕。2007年にC級のティーチングプロ(コーチ資格を持つプロゴルファー)の資格を取得。2012年にはA級ライセンスを取得している。 津野の妻は、元同僚である西崎の妻と姉妹であり、津野と西崎は義兄弟の間柄になる。 1988年、西宮スタジアムでのオールスター第1戦では勝利投手となったが8回表2死に代打で後の同僚になる当時高卒新人の立浪和義に同試合唯一の安打を打たれる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「津野浩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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