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洪 栄龍(こう えいりゅう、1947年10月7日 - )は日本のギタリスト。東京都世田谷区で生まれる。父は台湾人、母は日本人。洪家のルーツは敦煌にまで溯るといわれている。 == 来歴 == === 乱魔堂解散まで === 1967年、日本大学芸術学部在学中に竹田和夫らとツインリードのハードロックバンド=ビッキーズを結成。ビッキーズは数年で発展的解消する。 1969年にブラインド・レモン・ジェファーソンを結成、プロデビューする。主にシカゴ・ブルースを演奏した。 1970年、布谷文夫、センチメンタル・シティ・ロマンスの告井延隆らとともにDEWを結成するも翌年には脱退する。 1971年、乱魔堂を結成。初代メンバーは、松吉久雄(ボーカル)、洪栄龍(ギター)、猿山幸夫(ベース)、矢島敏郎(ドラム)。日本語のロックを標榜したそのバンドの姿勢とプレイは大きく注目され、以降の日本のロックミュージックシーンに大きな指針を示した。日比谷野外音楽堂で開催された『ROCK DAY』や『第3回全日本フォークジャンボリー』などに出演、ギタリスト洪栄龍の名前は一気にオーバーグラウンドに躍り出る。 1972年、アルバム「乱魔堂」発表。その後メンバーチェンジを繰り返し〔強化メンバーとして上村律夫(キー・ボード)、告井延隆(生ギター、サイド・ギター)が在籍。72年の6月からサイド・ギターとして山崎隆史が在籍した。〕さまざまな音楽性を模索するがこの年の年末に突如解散。〔乱魔堂は「雪童子(ゆきわらし)」(洪、山崎)と「フライ」(松吉、猿山、矢島)に分散。雪童子はその後自然消滅する。〕 1973年、スラッピー・ジョー、洪栄龍&グローリー・バンドを結成。〔「大阪の春一番コンサートに洪栄龍の新しいグループが出演した。これは、雪童子の解散後に編成されたグループで、春一番コンサートでは、中山ラビのバックをつとめた彼、新曲を2曲披露した。メンバーは洪栄龍(ギター、ボーカル)、倉橋(キーボード)、水口(ベース)、鈴木(ドラムス)の4人。これからも洪栄龍グループとして活動していく予定。(ニューミュージックマガジン1973年6月号より)〕遠藤賢司や加藤登紀子のレコーディングに参加。その他、中山ラビ、亀渕友香、石川セリ、西岡恭蔵、小室等、山崎ハコ、小坂忠など、セッションしたアーティストは枚挙に暇がない。 1975年、セッション活動を続けるかたわら、初のソロアルバム「目覚まし時計」を発表した。 1982年、突如沈潜する。プロデューサー、後進の指導など音楽スタッフとしての活動にそのエネルギーを注いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「洪栄龍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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