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洪淳基 ( リダイレクト:鴻野淳基 ) : ウィキペディア日本語版 | 鴻野淳基[こうの じゅんき]
鴻野 淳基(こうの じゅんき、1961年7月10日 - )は、愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。 == 来歴・人物 == 名古屋電気高校では、三塁手、四番打者として夏の甲子園県予選決勝に進出するが、中京高に敗退。同年のドラフト1位で西武ライオンズに入団。背番号7をつけるも、翌のドラフト1位で入団した石毛宏典に譲る。 オフ、鈴木康友との交換トレードで読売ジャイアンツに移籍。河埜和正の引退により、岡崎郁との熾烈な定位置争いの末、には遊撃の定位置を掴みかけ、キャリアハイとなる94試合に出場した。しかし、翌の開幕試合となる4月8日の東京ドーム(対ヤクルト戦)で、7回表一死一、三塁の場面で荒井幸雄が放ったボテボテの二ゴロの併殺プレーの際、逆転負けにつながる悪送球をしてしまい、その後も悪送球を連発。勝呂博憲や川相昌弘の台頭もあり二軍に落ち、シーズン中に外野手に転向した。 オフ、大野雄次との交換トレードで横浜大洋ホエールズに移籍するも結果を残せず、には韓国プロ野球(KBO)のロッテ・ジャイアンツに移籍し、洪淳基(ホン・スンギ、)としてプレーしたが、同年限りで現役引退。 引退後は会社員の傍ら、プロ野球マスターズリーグの名古屋80D'sersでプレーしていた。マスターズリーグが活動休止後は会社員に専念。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鴻野淳基」の詳細全文を読む
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