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陸軍糧秣本廠流山出張所(りくぐんりょうまつほんしょうながれやましゅっちょうじょ)は、千葉県東葛飾郡流山町大字流山字東谷(現:流山市流山九丁目)にあった日本陸軍の糧秣を保管、供給する施設である。略称は「流山糧秣廠」。 本出張所の開設当初の名称は「陸軍糧秣本廠流山秣倉庫」で、太平洋戦争敗戦時の名称は「陸軍糧秣本廠流山出張所」。その間にも名称変更があったと推察されるが詳細は不明である〔『流山糧秣廠』(p14)より。〕。 糧秣廠とは、兵士の食糧と軍馬の飼料を管理した日本陸軍の部署のことである。糧秣本廠は東京府東京市深川区(現・東京都江東区深川)越中島にあったが、向島区本所(現・東京都墨田区本所)にあった軍馬用の飼料倉庫が手狭になったことと、飼料(干し草など)の自然発火の可能性などがあったため、本廠の出張所(倉庫)として流山出張所が設置された。 軍馬用の干し草と藁(わら)の主産地は、関東地方では流山町を中心とする千葉県や、近隣の茨城県であったため、流山町は江戸川の水運と鉄道(現在の常磐線と流鉄流山線)という物資輸送に有利な立地条件を持っていた。 このような事情から、本出張所の建設が1923年(大正12年)に開始され、1925年(大正14年)6月に完成した。 本出張所の所在地は、現在の流鉄流山線平和台駅の南西側で、 敷地面積は35,260坪(約116,562m2)、 建坪は3,560坪(約11,769m2)であった。 また、主な建造物は、1棟280坪(約926m2)の12棟の倉庫であった。 本出張所で管理した主な糧秣は、干し草、藁(わら)、牧草、大麦、燕麦、コーリャン、乾パン、肉の缶詰などで、近衛第一師団の各部隊に糧秣を供給し、宮内省や警視庁には牧草を供給した。 本出張所では干し草や牧草を圧搾機〔機械的に圧力をかけたり、あるいは、液体を利用して圧力をかけたりして圧縮する機械のこと --『広辞苑 第五版』〕を使用して40kgに梱包する作業も行われた。 本出張所は1945年(昭和20年)、日本が太平洋戦争に敗戦し、解散した〔『「町民鉄道」の60年 - 総武流山電鉄の話』(p35 - 37)より。〕。 == 歴史 == === 沿革 === 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「陸軍糧秣本廠流山出張所」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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