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流 智美(ながれ ともみ、1957年11月16日 - )は日本のプロレス評論家。本名は宮本厚二。茨城県水戸市出身。 == 来歴 == 少年時代からのプロレスファン。特に国際プロレスのマニアであり、高校までは茨城県立スポーツセンター体育館で行われた興行によく観戦に行っていたが、一方で中学生時代には、流血戦は好きではなかったという〔『日本プロレス事件史 Vol.10』、P4 - P6〕。高校1年の時には放送時間が土曜14:00 - 14:30に時間変更された『TWWAプロレス中継』(TBS)を見るべく、土曜の部活を休んだほどであった〔『日本プロレス事件史 Vol.2』、P50〕。中学校の時から英会話を勉強し、一橋大学在学中に、国際プロレスに「外人選手のインタビューの通訳としてして使ってください」と頼んだところ、同時期に通訳が国際プロレスを退社したため、1977年に国際プロレスに外人選手の送迎補助として入社した〔『忘れじの国際プロレス』、P93〕。1979年にバーン・ガニアが来日した際は、ガニアが帰国する際、他のフロントが営業に出かけるなど人手が回らなかったため、京成上野駅から成田空港駅(現:東成田駅)までスカイライナーにガニアと一緒に乗車してガニアを成田空港まで送って行った。このことは、国際プロレスだからこそ出来たことであり、全日本プロレスや新日本プロレスでは普段出来ないことだった〔。 大学卒業後、日本郵船に入社、国外各地に渡る機会が多く、アメリカ、欧州のプロレスを生で数多く観戦し、プロレスラーと独自のコネクションを築いた。 国際プロレス解散後はプロレス評論家としてベースボール・マガジン社や宝島社の刊行物を舞台に活躍、プロレス史の研究についての業界第一人者となる。またコネクションの豊富さからプロレス団体の運営に携わることあり、UWFインターナショナルとは特に深い関係を持ち、同団体の内情を綴った記事も多い。晩年のルー・テーズの側近としても有名。 近年では、『週刊プロレス』、『東京スポーツ』に連載を持つほか、国際プロレスのDVD監修を行い、2008年に第1回が行われた「プロレス知識力認定試験 プロレス王」の総合監修者となっている。2012年から放送開始されたBS11「スーパーファイティングIGF」の解説も務める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「流智美」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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