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浅井 久仁臣(あさい くにおみ、1947年9月17日 - )は、日本のジャーナリスト。 == 略歴 == *1947年、愛知県岡崎市に生まれる〔講演依頼.com掲載プロフィール 〕。愛知県立岡崎高等学校卒業〔岡崎高校野球部よ、頑張れ! 公式ブログ〕。 *1973年、「AP通信」(米)入社〔講演依頼.com掲載プロフィール 〕。アジア総局の記者として、日本国内および中国、朝鮮半島を担当。 *1976年、AP通信を退職後、フリーランス・ジャーナリストとして、レバノン内戦を取材〔講演依頼.com掲載プロフィール 〕。テレビ・ラジオ・雑誌などに取材報告を発表。その後も、中東、東南アジア、北アイルランドなどの戦争(紛争)を取材する。 *1977年2月、埼玉県さいたま市で英会話スクールを開校。生徒をジャーナリズムに導く。〔公式サイト 〕。 *1981年、アラファトPLO議長の初来日の密着取材。その模様を、多くのメディアで発表。アラファト氏の「知られざる素顔」を紹介したとして、評価を受ける。 *1982年のイスラエル軍(陸海空)によるレバノン侵略を、TBSの契約特派員として現地取材。この頃から、民生用のビデオカメラを使っての単独取材を始める。 *1989年6月、天安門事件の取材にTBSから特派され、北京および成都を取材。 *1991年、湾岸戦争勃発。TBSの報道局と社会情報局の特派員として契約し、現地取材。 *1993年、数度にわたり旧ユーゴスラビア内戦取材。「サラエボのロミオとジュリエット」の射殺現場を世界で初めて撮影し、TBSテレビ「報道特集」で発表した。 *1995年1月の阪神淡路大震災の被災現場に若者達と駆けつけ神戸市長田区にテント基地を作り、救援・支援活動を行った。そして、防災・災害支援ボランティア団体「アクト・ナウ(ACT NOW)」を設立(2006年1月、活動停止〔公式サイト 〕)。レスキューチームを作り、浦和市消防本部(現さいたま市消防局)の訓練指導を受け、その後、起きる大規模災害の救援活動を行った。その他に「帰宅難民ウォーク」「外国籍住民向け防災訓練」「図上想定訓練」などの訓練の普及活動も行った。 *2002年、テレビ朝日と契約し、当時、軍事占領下にあったパレスチナに潜入取材〔講演依頼.com掲載プロフィール 〕。 *2003年3月のイラク戦争では、解説者としてテレビ出演。その後、マスコミ各社と自ら距離をおき、ブログやツイッターなどのインターネット・メディアで活躍している〔公式サイト 〕。 *2003年春から「メディア塾」を東京都内などで開設〔公式サイト 〕。 *2007年4月8日投開票のさいたま市議会議員選挙(南区選挙区)に無所属で出馬するも、落選。公約を「災害に強い街づくり」に絞っての立候補であった〔さいたま市議会議員選挙(2007/04/08投票) 南区選挙区 立候補者一覧 - ザ選挙 〕〔鳩山由紀夫と私 公式ブログ〕。 *2012年5月、活動の拠点を郷里の愛知県岡崎市に移す〔山村移住報告 公式ブログ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浅井久仁臣」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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