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浅井 図南(あさい となん、宝永3年11月13日(1706年12月17日) - 天明2年8月5日(1782年9月11日))は、江戸時代中期の医者。名は政直、後に惟寅。通称は頼母。幹亭、篤敬斎とも号した。 == 人物 == 医師・浅井東軒の子として生まれる〔『大日本人名辞書 上巻』33頁 〕。生まれは、京都とも、長州ともいう〔〔『扶桑画人伝 巻之四』29丁裏-30丁表 〕。幼名は冬至郎。 享保10年(1725年)、父・東幹が尾張藩の藩医となって名古屋に居を移したが、図南は京都に留まって医業を行った〔〔『愛知県医人伝』9頁 〕。 画に優れ、特に墨竹画については、、山科李蹊、御園中渠とともに「平安の四竹」と称された〔〔〔。 後に父・東軒の死を受けて、父の跡を継ぎ尾張藩医となる〔〔〔。 天明2年(1782年)、77歳で没した〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浅井図南」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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