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浅尾 慶一郎(あさお けいいちろう、1964年2月11日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。みんなの党代表(第2代)、同党幹事長(第2代)、政策調査会長(初代)、参議院財政金融委員長、参議院議員(2期)を務めた。 == 来歴 == 東京都出身。栄光学園高等学校、東京大学法学部卒業。1987年、大学を卒業し日本興業銀行に入行。1992年、アメリカ合衆国スタンフォード大学経営大学院を修了し、経営学修士号(MBA)を取得した。1992年から1995年まで日本興業銀行本店プロジェクトファイナンス担当。1995年、新進党が実施した候補者公募に応募し、合格したため日本興業銀行を退職した。 1996年の第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で神奈川4区から出馬し、旧民主党前職の中島章夫の得票は上回ったものの自由民主党公認の飯島忠義の後塵を拝し、次点で落選(新進党は一部の例外を除き、重複立候補を認めていなかったため比例復活はできなかった)。1997年、新進党の解党に伴い、新党友愛の結党に参加し、1998年に民主党に合流した。 1998年、第18回参議院議員通常選挙に民主党公認(公明党推薦)で神奈川県選挙区(定数3)から出馬し、得票数トップで初当選を果たした。2002年6月よりワットマン監査役を務める。2004年の第20回参議院議員通常選挙で再選(得票数2位)。同年、参議院財政金融委員長に就任した。2005年9月から2006年3月まで、前原誠司民主党代表の下に設置された次の内閣でネクスト外務大臣を務める。 2009年の第45回衆議院議員総選挙に際し、参院議員を辞職した上で衆議院神奈川4区から立候補したい意向を示していたが、民主党本部は元逗子市長の長島一由を公認。浅尾は神奈川8区からの立候補を党側から提案されたが、これを拒否し、7月24日に民主党に離党届を提出(離党届は受理されず、除籍処分が下った)した上で、再度神奈川4区からの出馬を明言した。8月8日、みんなの党の結党に参加。同党公認で神奈川4区から出馬し、選挙区では民主党公認の長島一由に敗れたが、重複立候補していた比例南関東ブロックで復活した(総選挙への立候補に伴い、公示日の8月18日に参院議員を自動失職)。当選後、みんなの党政策調査会長に就任。 2012年12月の第46回衆議院議員総選挙では、みんなの党公認で神奈川4区から出馬し、京都2区から国替えした自由民主党の山本朋広らを破り、再選。2013年4月より、みんなの党選挙対策委員長を兼任する〔みんな、内紛がひとまず収束 浅尾氏が選対委員長に就任 日本経済新聞、2013年4月6日配信。〕。同年8月、党運営をめぐり更迭された江田憲司の後任のみんなの党幹事長に起用され、さらに翌2014年4月、党首であった渡辺喜美がDHCから借用金8億円を受け取っていた問題を受け、立党以来就任していた代表職を辞任したことを受け同党代表選挙に立候補、他に立候補者がおらず無投票でみんなの党第2代党代表に就任することとなった〔浅尾慶一郎氏、みんなの党新代表に 無投票で当選 朝日新聞 2014年4月11日17時43分配信〕。2014年11月、みんなの党の解党を決める。2014年12月の第47回衆議院議員総選挙では、無所属で神奈川4区から出馬し、当選。 2015年1月、地域政党「神奈川みんなの改革」を結成し、代表に就任する〔〕。 現在、日本国際フォーラム参与を務める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浅尾慶一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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