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浅川 浩(あさかわ こう〔 / ひろし〔、1869年3月6日(明治2年1月24日〔衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、36頁。〕) - 1949年(昭和24年)2月10日〔『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』18頁。〕)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 ==経歴== 甲斐国巨摩郡、後の北巨摩郡大泉村(現山梨県北杜市大泉町)で浅川荘衛の長男として生まれる〔『北海道人名辞書』第二版、317頁。〕〔『人事興信録』第8版、ア79頁。〕。1883年4月に上京し明治学館で学ぶ〔〔。1886年に卒業して帰郷し、農蚕、酒造業を営むが成功せず、1890年、御料局雇となる〔。 1893年、北海道に移り上川郡旭川村戸長役場筆生に就任〔。以後、高鷲村戸長、旭川町会議員、同区会議員、旭川市会議員、北海道会議員、北海道教育会地方委員、旭川教育会理事、旭川精米社長、旭川酒造社長、北海畜産社長などを務めた〔。 1920年5月、第14回衆議院議員総選挙で北海道第八区から憲政会所属で出馬し、僅少の差で次点となるが、当選者大久保虎吉の票に無効票が多いことが判明し、同年12月11日、大審院で当選無効訴訟が確定したため〔『官報』第2513号、大正9年12月16日。〕、浅川が当選者となり衆議院議員に就任した〔〔『官報』第2522号、大正9年12月27日。〕。その後、第15回から第17回までと第19回総選挙で当選し、衆議院議員を通算五期務めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浅川浩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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