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浅瀬石氏 : ミニ英和和英辞書
浅瀬石氏[あさせ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

浅瀬 : [あさせ]
 【名詞】 1. shoal 2. shallows 3. sand bar 4. ford 
: [せ]
 【名詞】 1. current 2. torrent 3. rapids 4. shallows 5. shoal 
: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 

浅瀬石氏 ( リダイレクト:千徳氏 ) : ウィキペディア日本語版
千徳氏[せんとくし]

千徳氏(せんとくし)または浅瀬石千徳氏(あせいしせんとくし)は陸奥国を本拠とした氏族。
== 出自 ==
千徳氏は南部氏一戸氏の一族、一戸行重を祖とする説(奥南落穂集)と、同様に南部氏分流の一戸政英を祖とする説(千徳舘興廃実記)とがある。
前者は戦国時代、南部氏の目代として一戸行重が千徳城主となったのが始まりだとし〔『奥南落穂集』「閉伊郡之次第」の項〕、
後者は土岐氏の一族で千徳城主であった土岐千徳氏・千徳次郎善勝南部信時の家臣、櫻庭光康らが滅ぼし、文亀二年(1502年)、目代として一戸政英を置いたことに始まるというものである。
宮古市の羽黒山神社棟札の「大檀那南部源朝臣千徳二郎殿、天文八年(1539年)三月六日云云」との記事や、同地黒森神社棟札の「大檀那南部右馬允源安信、同左衛門督信高、天文十年(1541年)六月八日云云」の記事により、いずれにせよ当時既に一戸氏が千徳の地を領有し、南部氏一族の勢力が及んでいたことは確実である。また『宮古由来記』では千徳氏が閉伊郡黒田村を領有したのを天文21年(1552年)からだとしている〔『宮古市史』 75pに「千徳安芸」とあり、安芸守を称した浅瀬石長重の事を指すと思われる。 〕。後に石川高信に従い、浅瀬石村を与えられた一族が浅瀬石氏を称した。『奥南落穂集』は浅瀬石長重を一戸行重の三男、若しくは二男としている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「千徳氏」の詳細全文を読む




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