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浅田 満(あさだ みつる、1938年12月6日 - )は、日本の実業家。食肉卸売業のハンナンの元会長。部落解放同盟の元地方役員。食肉業界のドンとよばれた。別名、浅田満利。 == 経歴 == 大阪府羽曳野市向野生まれ。1947年、実父が食肉卸「浅田商店」を設立。そのため小学校5年生の時から店を手伝う。1951年頃、入学式の直後に中学を中退して大阪・三国の食肉小売店「神戸屋」で奉公。その後、大阪市阿倍野区北畠の肉屋にも奉公。日本ハム会長の大社義規に取り入り、1964年、日本ハムの子会社「日本ミート」(現在の日本マトラス)の専務に就任。1967年12月、浅田商店を株式会社阪南畜産浅田商店に商号変更(現ハンナン)、取締役に就任。30歳の時に大阪同和食肉事業共同組合の専務理事に就任する。 やがてハンナンの北海道進出に伴って中川一郎などの政治家や官僚と関係を持つようになり、輸入牛肉の割り当てを巡る利権を握るようになる〔『昭和・平成 日本 黒幕列伝 時代を動かした闇の怪物たち』34-35頁 〕。山口組5代目組長の渡辺芳則とも親しく、渡辺を「ナベちゃん」と呼ぶ間柄である〔溝口敦『食肉の帝王』p.4(講談社、2003年)〕。 1971年2月、映画『橋のない川』第二部の上映に携わっていたとして、羽曳野市職労副委員長を襲撃した〔『解放の道』1971年3月5日〕。 1987年10月、贈賄容疑で逮捕。外国産牛肉の放出枠の割り当てをめぐって畜産振興事業団幹部に600万円を渡し、便宜を図らせた容疑だった。1988年3月、東京地裁にて懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決を言い渡されたが、その場で裁判長豊田健に向かって「(執行猶予期間が)長すぎるんじゃないですか」と食ってかかり、驚いた裁判長にたしなめられたことがある〔『毎日新聞』1988年3月12日付〕。 食肉産業の他、建設や金融の分野でもハンナンのグループ企業(昭栄興業、羽曳野市)を設立し、弟たち(山口組系白神組元幹部と山口組系浅田会元組長)をこれらのグループ企業の社長に据え、山口組の威光を利用して中部国際空港建設事業に絡む利権の半分を独占する〔溝口敦『食肉の帝王』p.200(講談社、2003年)〕。羽曳野市では「浅田一派に馳せ参じないと絶対仕事は取れない」と工事受注を諦めている土建業者が何社もあるという〔溝口敦『食肉の帝王』p.198(講談社、2003年)〕。 2004年4月17日、BSEに関する国の補助制度を利用し不正を行ったとして、詐欺罪など複数の容疑で逮捕される(ハンナン事件)。複数の政治家や官僚、財界人、暴力団員と幅広い交流があったともされる。 2004年12月23日、史上最高額の20億円という保釈金を払って保釈される。 2005年5月27日、大阪地裁にて懲役7年の実刑判決が言い渡された(これに先立つ2005年5月11日、大阪地裁では浅田満の共犯として実弟の浅田暁ら5人が詐欺や補助金適正化法違反で執行猶予つきの有罪判決を受けていた)。2008年3月4日、大阪高裁の控訴審でも懲役7年の実刑判決が支持された。 2012年2月27日、最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)における口頭弁論にて、検察側が詐欺罪と補助金適正化法違反の2つの罪について有罪主張を維持しつつ、証拠隠滅教唆の罪については有罪認定に誤りがあったとして無罪を認めた。一方、弁護側は詐欺罪についても無罪主張を維持した。4月2日の判決で、発見された書類は複製の可能性が高いとして有罪を維持した二審判決を「重大な事実誤認をした疑いが顕著」として破棄、大阪高裁に差し戻した。2013年12月25日に大阪高裁は証拠隠滅教唆罪を無罪としつつ詐欺罪と補助金適正化法違反を有罪として懲役6年8月の実刑判決を言い渡した。2015年4月8日、最高裁が上告を棄却し、判決が確定した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浅田満」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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