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富士館(ふじかん、1908年8月 開業 - 1973年 閉館)は、かつて存在した日本の映画館である。1,800人を収容する巨大な映画館であった。のちに浅草日活劇場(あさくさにっかつげきじょう)と名称を変更した。 == 略歴・概要 == === 映画界初の株式会社 === 1908年(明治41年)8月〔、東京市浅草区公園六区三号地(現在の東京都台東区浅草1丁目42番4号)に開業した。横田商会(現在の日活の前身の一社)の特約館となり、尾上松之助主演作で人気を博した。 開業当時は、日本の主要都市での開館ラッシュにあり、前年1907年(明治40年)4月1日に東京で2番目の常設館・新声館が神田に、同年7月には大阪初の常設館・千日前電気館、同年7月16日には浅草六区に三友館、同年12月20日には大阪に第一文明館、1908年4月には浅草に福寿館、同年5月には牛込区神楽坂に文明館、そして同年7月には浅草六区に大勝館、同年8月に富士館、同年9月には麻布区に文明館、同年10月には名古屋初の常設館・文明館、同年11月には千日前日本館という勢いであった。 1911年(明治44年)、富士館の館主が「日本興行株式会社」を設立、日本映画界初の「株式会社」となった。 1912年(大正元年)9月10日、横田商会が、福宝堂、M・パテー商会、吉沢商店と4社合併して日本活動写真株式会社(現在の日活)となり、同年10月1日公開の『春日局』を最後に、日活のフラッグシップ館となった。同年11月1日公開の『三代将軍家光と大久保彦左衛門』と『誰が物』が同館が興行した最初の日活作品である。 1927年(昭和2年)、僊石政太郎設計による改築が行なわれた。 1930年(昭和5年)3月、川端康成が随筆『浅草』に記したところによれば、当時の同館は「日活封切」と記述されている。またそのころ、同館宣伝部の水島良成は、当時、松竹キネマ本社宣伝部にいた河野鷹思とならび「映画ポスターの双璧」と呼ばれた〔酒井哲朗, 「1930年代の日本美術 」, 三重県立美術館〕。 1942年(昭和17年)4月、戦時統合で日活の製作部門が大日本映画製作株式会社(大映)に統合され、同館でも大映作品を公開することとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「富士館」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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