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浅見 三喜夫(あさみ みきお、1959年 - )は愛媛県の宇和島市・九島出身の日本の柔道家。現役時代は60kg級及び65kg級の選手。次女は48kg級の世界チャンピオンである浅見八瑠奈。現在は新田高校の教頭及び柔道部顧問〔私の柔道人生 〕〔 サンケイスポーツ 2015年7月27日〕。 == 経歴 == 柔道は城南中学に入ってから兄の影響で始めた〔。新田高校2年の時にはインターハイ軽量級で3位になると、3年の時には中量級で3位となった。その後筑波大学に進学するが、1年の時に肘をケガして従来の得意技だった背負投が使えなくなったので、今までとは違ったスタイルの背負投を編み出すことになった〔。2年の時には新人体重別で優勝を飾った。4年の時には60kg級の選手ながら全日本学生柔道優勝大会のメンバーに選ばれて準優勝を果たした。1981年にはハンガリー国際とチェコ国際で連続優勝を飾った。大学を卒業すると新田高校の教員となり、講道館杯で2連覇を飾った。1982年には嘉納杯でも3位となった。1984年には階級を65kg級に上げると、体重別決勝で後にロサンゼルスオリンピックで優勝することになる兵庫県警の松岡義之を効果で破って優勝を果たすが、この階級での実績は今大会での優勝しかなかったためにオリンピック代表に選ばれることはなかった〔浅見八瑠奈 近代柔道 ベースボールマガジン社、2010年4月号、98頁-101頁〕。その後も講道館杯などで上位に入る活躍を見せるが、27歳の時に現役を引退した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浅見三喜夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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