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浅見俊雄(あさみ としお、1933年10月3日 - )は、日本の元サッカー審判員、元サッカー選手、元サッカー指導者。東京大学・日本体育大学名誉教授。元国立スポーツ科学センター長、日本サッカー協会顧問、アジアサッカー連盟規律委員会副委員長。 == 略歴 == 埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。東京大学教育学部体育学科卒業。選手時代のポジションはハーフバック〔現在のミッドフィールダー。〕。埼玉県立浦和高等学校2年次の1950年に国民体育大会準優勝、3年次の1951年に高校選手権、国体、関東大会の三冠に貢献した〔同期に倉持守三郎(元浦和高校サッカー部監督)、2年下に轡田隆史がいる。〕。また同年には公式戦28試合、練習試合24試合の合計52試合無敗の記録を残した〔全国高等学校体育連盟『高校サッカー60年史』講談社。〕。その後、東京大学に進学し運動会ア式蹴球部に所属。1952年度(1953年1月)第1回大学選手権にて優勝。4年次には主将を務めた。 23歳で審判資格を取得し審判員の道へ進む。東京大学教養学部教授を務める傍ら、日本サッカー協会一級審判員、国際サッカー連盟一級審判員として数多くの試合の主審を務めた。また1964年東京オリンピックではグループリーグのイランvsメキシコ戦で副審を務めている〔Iran - Mexico Match Report FIFA Olympic Football Tournament TOKYO 1964〕〔(東京五輪物語)サッカー 落とし穴、前代未聞の珍事 朝日新聞 2014年11月1日閲覧〕。 1994年に東京大学を定年退官後はJリーグ審判委員長、Jリーグ常勤理事、日本体育大学教授、国立スポーツ科学センター初代センター長(2001年から2004年)、文部科学省中央教育審議会委員(第1期、第2期)を歴任した。 2008年には、国立霞ヶ丘陸上競技場の将来を検討する文部科学省の「調査研究協力者会議」で代表を務めた〔国立競技場の本格的改修を検討、文部科学省 - ケンプラッツ、2008年6月3日〕。 2010年8月17日、日本サッカー殿堂入りが発表された。 2013年5月3日、アジアサッカー連盟のAFC功労賞ゴールドスターアワードを受賞した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浅見俊雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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