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浅見源司郎 : ミニ英和和英辞書
浅見源司郎[あさみ げんしろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

浅見 : [せんけん]
 【名詞】 1. shallow view 2. superficial idea 
: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 

浅見源司郎 : ウィキペディア日本語版
浅見源司郎[あさみ げんしろう]

浅見 源司郎あさみ げんしろう1939年 - )は、日本テレビ放送網アール・エフ・ラジオ日本(RFラジオ日本)アナウンサー。都立西高等学校を経て、早稲田大学卒業。
== 来歴・人物 ==
1962年に日本テレビへ入社。日本テレビ時代には主としてプロ野球を中心としたスポーツ放送担当。1977年9月3日読売ジャイアンツ(以下、巨人)対ヤクルトスワローズの試合における、鈴木康二朗投手から打った王貞治選手の756号本塁打(当時世界新記録)の実況を担当した(但し、生放送できず)。この他にも実況した名シーンは数多く、以下に挙げる試合にも立ち会っている。
; 公式戦
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* 1971年5月20日の巨人対ヤクルト戦(福井県営球場)での広野功の代打逆転サヨナラ満塁ホームラン(相手は会田照夫)〔このときの解説は金田正一。〕。
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* 1975年10月15日の巨人対広島戦で広島がセ・リーグ初優勝を決めた試合(対戦相手の巨人はこの年、球団史上初のリーグ最下位に終わる。この試合の最後の打者は柴田勲で結果はレフト水谷実雄へのフライ。胴上げ投手は金城基泰)〔中継の解説は別当薫(9回表にゲイル・ホプキンスの本塁打の際に「入ったでしょう」とコメントを残している)。優勝監督及び選手へのインタビューは赤木孝男、広島市内のリポートを脇田義信(広島テレビアナウンサー)が担当した(広島のベンチサイドリポーターは加藤進(広島テレビアナウンサー))。〕。
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* 1976年6月10日の巨人対阪神戦で張本勲が通算2500本安打達成(相手は上田卓三)〔張本勲2500安打+王貞治祝砲(1976.6.10) YouTube)-直後に次打者の王貞治が本塁打を放ち、張本の記録達成に花を添えた。〕。
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* 1981年4月5日の巨人対中日戦での原辰徳のプロ入り初本塁打(相手は小松辰雄)。
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* 1983年10月22日の巨人対大洋戦での堀内恒夫の引退試合(自らの現役最終打席で、金沢次男投手より本塁打〔1983 堀内恒夫引退試合ホームラン 〕を放ち花を添える。試合も巨人が勝利した)。
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* 1984年5月5日の巨人対広島戦での山本浩二の通算2000本安打達成(相手は槙原寛己)。
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* 1987年6月11日の巨人対中日戦(熊本藤崎台球場)での宮下昌己ウォーレン・クロマティに与えたデッドボールをきっかけに起きた乱闘シーン。
; 日本シリーズ
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* 1971年の日本シリーズ巨人対阪急第4戦(足立光宏から末次利光が満塁弾を放ちV7に王手をかけた試合)。
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* 1981年の日本シリーズ巨人対日本ハム第5戦(西本聖が13安打を打たれながらも完封勝利。この試合でV9(1973年の9連覇)以来の日本一へ王手をかけた)。
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* 1983年の日本シリーズ巨人対西武第3戦(9回裏2死からの4連打(篠塚利夫、原、レジー・スミス中畑清)で逆転サヨナラ勝ち)。
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* 1987年の日本シリーズの巨人対西武第5戦(後楽園球場最後のシリーズ)。
プロ野球中継以外にもNCAAアメリカンフットボール公式戦『ミラージュボウル』(三菱自動車がスポンサーの大会)の実況も担当した。
1993年にRFラジオ日本へ出向。スポーツ放送からは撤退し早朝番組のキャスターを担当した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「浅見源司郎」の詳細全文を読む




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