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浅見 源司郎(あさみ げんしろう、1939年 - )は、日本テレビ放送網・アール・エフ・ラジオ日本(RFラジオ日本)アナウンサー。都立西高等学校を経て、早稲田大学卒業。 == 来歴・人物 == 1962年に日本テレビへ入社。日本テレビ時代には主としてプロ野球を中心としたスポーツ放送担当。1977年9月3日の読売ジャイアンツ(以下、巨人)対ヤクルトスワローズの試合における、鈴木康二朗投手から打った王貞治選手の756号本塁打(当時世界新記録)の実況を担当した(但し、生放送できず)。この他にも実況した名シーンは数多く、以下に挙げる試合にも立ち会っている。 ; 公式戦 : * 1971年5月20日の巨人対ヤクルト戦(福井県営球場)での広野功の代打逆転サヨナラ満塁ホームラン(相手は会田照夫)〔このときの解説は金田正一。〕。 : * 1975年10月15日の巨人対広島戦で広島がセ・リーグ初優勝を決めた試合(対戦相手の巨人はこの年、球団史上初のリーグ最下位に終わる。この試合の最後の打者は柴田勲で結果はレフト・水谷実雄へのフライ。胴上げ投手は金城基泰)〔中継の解説は別当薫(9回表にゲイル・ホプキンスの本塁打の際に「入ったでしょう」とコメントを残している)。優勝監督及び選手へのインタビューは赤木孝男、広島市内のリポートを脇田義信(広島テレビアナウンサー)が担当した(広島のベンチサイドリポーターは加藤進(広島テレビアナウンサー))。〕。 : * 1976年6月10日の巨人対阪神戦で張本勲が通算2500本安打達成(相手は上田卓三)〔張本勲2500安打+王貞治祝砲(1976.6.10) (YouTube)-直後に次打者の王貞治が本塁打を放ち、張本の記録達成に花を添えた。〕。 : * 1981年4月5日の巨人対中日戦での原辰徳のプロ入り初本塁打(相手は小松辰雄)。 : * 1983年10月22日の巨人対大洋戦での堀内恒夫の引退試合(自らの現役最終打席で、金沢次男投手より本塁打〔1983 堀内恒夫引退試合ホームラン 〕を放ち花を添える。試合も巨人が勝利した)。 : * 1984年5月5日の巨人対広島戦での山本浩二の通算2000本安打達成(相手は槙原寛己)。 : * 1987年6月11日の巨人対中日戦(熊本・藤崎台球場)での宮下昌己がウォーレン・クロマティに与えたデッドボールをきっかけに起きた乱闘シーン。 ; 日本シリーズ : * 1971年の日本シリーズ巨人対阪急第4戦(足立光宏から末次利光が満塁弾を放ちV7に王手をかけた試合)。 : * 1981年の日本シリーズ巨人対日本ハム第5戦(西本聖が13安打を打たれながらも完封勝利。この試合でV9(1973年の9連覇)以来の日本一へ王手をかけた)。 : * 1983年の日本シリーズ巨人対西武第3戦(9回裏2死からの4連打(篠塚利夫、原、レジー・スミス、中畑清)で逆転サヨナラ勝ち)。 : * 1987年の日本シリーズの巨人対西武第5戦(後楽園球場最後のシリーズ)。 プロ野球中継以外にもNCAAアメリカンフットボール公式戦『ミラージュボウル』(三菱自動車がスポンサーの大会)の実況も担当した。 1993年にRFラジオ日本へ出向。スポーツ放送からは撤退し早朝番組のキャスターを担当した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浅見源司郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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